2012年3月14日水曜日

■半月で30階建てホテル、中国式「速度戦」の実態


半月で30階建てホテル、中国式「速度戦」の実態
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/14/2012031401268.html
2012/03/14 11:04

 1970年代後半、トウ(登におおざと)小平氏は、改革開放の実験場として、深セン(土へんに川)経済特区をつくった。その中心となる蛇口工業区を改革の伝道師、袁庚氏に委ねた。1982年、袁庚氏は「時は金なり、効率は命なり」という大看板を蛇口に立てた。当時の中国人には衝撃だったと同時に、あまりに俗物的に見えた。計画経済に浸っていた官僚は「社会主義の建物に資本主義のペンキを塗るつもりか」と反発した。

 「時は金なり」という言葉は、18世紀にベンジャミン・フランクリンが初めて使い、米国式の文化や考え方を象徴する命題となった。袁庚氏は「中国式の速度戦」を展開し、いつの日か先進国に追い付くという意味で、この格言を引用した。1984年、トウ小平氏が蛇口に来ると、袁庚氏はこのスローガンを通りごとに掲げた。少なからぬ反発と論争があったが、トウ小平氏は袁庚氏が正しいと持ち上げた。「深セン速度」という言葉が公式に生まれた瞬間だった。53階建ての深セン国際貿易ビルは、3日間に1階のスピードで完工した。

 今年は湖南省岳陽市の洞庭湖畔に、30階建てのホテル「方舟酒店」がわずか15日で完成したという。1日に2階ずつ建設する新記録を打ち立てた格好だ。組み立て式の超高速建設法を採用したという。米国メディアは「当然行うべき、安全管理プロセスが抜け落ちている」と皮肉った。工事を行った遠大集団は「2010年の上海万博でも6階建てのビルを1日で建てたが、何の問題もなかった」と反論した。

 「深セン速度」という言葉に続き、「上海速度」という言葉も生まれた。100階近い高層ビルや大型の橋が着工からわずか1年で完成するという驚くべき光景が至る所で見られた。しかし、昨年7月に浙江省温州市で起きた高速鉄道の衝突事故は、40人が死亡する惨事となり、「中国式速度戦」にもブレーキがかかったかに見えた。2000年代に入り「中国の鉄道は世界一速くなくてはならない」とあおり立てたが、結局はスピード違反の切符が切られた形だった。

 改革開放30周年を迎えた2008年、中国経済体制改革研究会は「30年の奇跡を生んだ傑出人物30人」を選んだ。「深セン速度」の袁庚氏も選ばれた。中国人は本来「ゆっくり」を好んだ。中国語で「ゆっくりと」を意味する「慢慢地」、「ゆっくり食べる」という意味の「慢慢吃」という表現があるほか、「ゆっくり歩く」という意味の「慢走」は、立ち去る人に「気を付けて」という意味で使われる。しかし、最近は「急いで、早く」という意味の「快快地」が口癖だ。しかし、韓国も経験したように、圧縮成長の奇跡が終われば、そのツケは必ず回ってくる。



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