2011年10月6日木曜日

アップルのスティーブ・ジョブズ氏 死去

アップルのスティーブ・ジョブズ氏死去が、先ほどTVで報道されただただ驚いています。
 
文化とは人間の精神が関わって創り出されたものを意味し、文明とは人間が要求する機能を具現化したものということを意味します。そういった意味では、スティーブ・ジョブズ氏はその発想力と行動力で「文化」と「文明」の両方を具現化した偉大な人であったと言えるのではないでしょうか。
 
偉大な人、スティーブ・ジョブズ氏のご冥福をお祈りいたします。
 
以下、転載。
 
 
 
■スティーブ・ジョブズ氏死去:最高峰ハイテク企業のカリスマ創業者
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aQlDy8_AC2_E
2011/10/06 09:01 JST ブルームバーグ
 
 10月5日(ブルームバーグ):コンピューターから音楽、携帯電話産業に革新をもたらし、消費者のデジタルライフを一新したアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が5日死去した。56歳だった。
 
 ジョブズ氏は2011年8月24日にアップルの最高経営責任者(CEO)を辞任した。カリフォルニア州クパティーノに本社を置くアップルが同日発表した。同氏は2003年にすい臓がんの一種で珍しい型の神経内分泌がんと診断され、09年には肝臓移植手術を受けていた。
 
 大学中退後の1976年、エープリルフールの4月1日に実家のガレージでアップル・コンピューター(当時)をスタートさせたジョブズ氏は、長髪のテクノヒッピーといった反体制的スタイルで、シリコンバレー企業家の象徴的存在となった。テクノロジー関係の本格教育を受けたことはなく、ビジネス経験もなかった。
 
 その代わり、テクノロジー特有の優雅さを理解する心と、コンピューターは単なるおもちゃや仕事の道具にとどまらないとの信念があった。コンピューターは人生に欠かせないツールになり得ると-。同氏は自ら起こしたテクノロジー革命によってこれを実現した。
 
 アップルはジョブズ氏の指揮で新しいデジタル時代を築き上げた。コンピューター「マッキントッシュ」に始まり、後にメディアプレーヤー「iPod(アイポッド)」、そして多機能携帯端末(スマートフォン)の「iPhone(アイフォーン)」、さらにはタブレット型コンピューター「iPad(アイパッド)」と、アップル発の波を次々と起こし、市場を席巻した。
 
 
            時価総額で世界最大
 
 ジョブズ氏はアップルの価値を高め、一時はエクソンモービルを抜いて最も時価総額の高い企業に躍進し、単にハイテク世界の預言者ではなく、経営の巨匠として賞賛されるまでになった。
 
 ジョブズ氏の波乱万丈の職歴の第1幕は、76年から84年の上昇期。コンピューター「アップルⅡ」の成功で始まった。80年には新規株式公開(IPO)にこぎ着け、約3年後にはグラフィックを多用した「マッキントッシュ」を送り出した。
 
 第2幕は挫折を味わう84年から97年まで。取締役会との権力闘争の末、85年にアップルを追放される。ジョブズ氏はNeXTコンピューターを創立。映画プロデューサーのジョージ・ルーカス氏からデジタルアニメーションの制作スタジオを買い取り、これが後のピクサーとなった。
 
 アップルによる97年のNeXT買収から第3幕が始まる。古巣アップルに舞い戻ったジョブズ氏は、経営に苦しむ同社を立て直し、ビジネス史上最大の復活劇とまで言われるほどの成功を収めた。
 
 
          秘密主義と完ぺき主義
 
 努力を傾ける対象がマックであれ、アイフォーンであれ、あるいはヒットメーカーのピクサーのアニメーション支援であれ、ジョブズ氏が証明して見せたのは、複雑なテクノロジーでもシンプルで美しい製品に設計することが可能であり、消費者の絶大な支持を得ることができるということだった。
 
 アップル製品へのきめ細かい目配りはやがて、ジョブズ氏自身のイメージに投影され、同氏の存在はアップルというブランドと切り離せなくなった。公の場では黒いタートルネック風シャツとジーンズというスタイルが同氏の定番となった。
 
 
            駐車場でのエゴ
 
 めったにインタビューに応じないことで神秘性を醸したことも、ジョブズ氏のカリスマ性をさらにかき立てた。また独特の新製品発表のスタイルも、ジョブズ氏のオーラを強めた。念入りなリハーサルを重ねたプレゼンテーションでは、最後の最後まで一切の妥協も許さなかったという。
 
 こうした完ぺき主義が奏功し、アップルの売上高はジョブズ氏のCEO退任前の2011年4-6月期に286億ドルを達成。82%という大幅増収を成し遂げた。株価は8月24日に376.18ドルで引け、時価総額は3488億ドルに膨れ上がった。
 
 ジョブズ氏の場合、成功の大きさに負けない強いエゴがあったことが知られている。駐車場の身障者用スペースに停められたシルバーのメルセデスベンツ「SL55 AMG」にナンバープレートをかたくなに付けないため、アップル本社の駐車場ではすぐにジョブズ氏の愛車だと分かる。
 
 人を褒めた口の渇かぬうちに同じ人をけなす--。アラン・デウッチマン氏著「スティーブ・ジョブズ氏の再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活」では、この性質を「英雄から大ばか者へのジェットコースター」と表現している。
 
 
          シリコンバレーの申し子
 
 スティーブン・ポール・ジョブズ氏は1955年2月24日、サンフランシスコで生まれた。大学を卒業したばかりで未婚のカップルに誕生した子供は、後にシリコンバレーの中心地となるロスアルトスでジョブズ夫妻の養子となった。
 
 当時からテクノロジーの雰囲気を漂わせていた環境で育った少年は、周波数カウンターを自作しようと、ヒューレット・パッカードの共同創業者であるウィリアム・ヒューレット氏に電話をかけてあれこれ質問を浴びせるなど、高校進学前からテクノロジー起業家の片鱗をのぞかせた。
 
 オレゴン州ポートランドの進歩的アートスクールであるリード・カレッジに進学したジョブズ氏は6カ月で中退。その後も友人宅を泊まり歩き、空き瓶回収で生活費を稼ぎながらキャンパスに残った。聴講したカリグラフィー(西洋書道)の授業で、その後の生涯を通じて追求していくことになるエレガントなデザインへの息吹を感じ取った。
 
 ジョブズ氏はこのときの体験について、2005年にスタンフォード大学での卒業生向けスピーチで振り返り、美的センスを養うことと技術的な理解を深めることの「点と点がつながった」と語った。テクノロジーと芸術性は相互を補うものであり、コンピューターの新しい世界は創造性への新たな橋渡しになれると実感したという。
 
 
         「心の導くままに」
 
 すい臓がん手術の翌年に行われたこのスピーチでジョブズ氏は、「何かを失いたくなくて固執するという罠にかからないためには、人はいつかは死ぬということを忘れないでおくのが一番だ。すでに裸の身なのだから、心の導くままに行動しなくてどうする」と卒業生らに語った。
 
 コンピューターのOSの分野でアップルの挑戦を受けたマイクロソフトのビル・ゲイツ会長は、07年のイベントでジョブズ氏についてこう語った。「スティーブのセンスが買えるのなら、巨額を払っても欲しい。彼のやり方はとにかく違う。魔法のようだ」。
 
 
 
 
■ジョブズ氏死去、アップル取締役会の声明全文
「生活豊かにする革命の源だった」

2011/10/6 9:21 日経Web
 
 【NQNニューヨーク=滝口朋史】米アップルは5日夕、スティーブ・ジョブズ会長が同日に死去したと発表した。同社の取締役会は共同創業者の死去に伴い、声明を発表した。以下は声明の全文。
 
 我々はスティーブ・ジョブズが本日、死去したことをお知らせすることを深く悲しんでいます。
 
 スティーブの優れた才能、情熱、そしてエネルギーはわたしたちの生活を改善し、豊かにする数え切れない革新の源でした。スティーブのおかげで世界は測ることができないほど良くなっています。
 
 彼が最も愛したのは妻、ローレンと家族でした。彼の家族と彼の非凡な才能に触れたすべての方々にお悔やみを申し上げます。
 
 
 
 
■前アップルCEO、スティーブ・ジョブズ氏死去
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111006/biz11100608570003-n1.htm
2011.10.6 08:56 産経Web
 米電子機器大手アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が死去した。56歳。ジョブズ氏は体調不良を原因に8月に米アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。
 
 ジョブズ氏は1976年にアップルを共同創業し、パーソナルコンピュータ「Apple」や「マッキントッシュ」などを発表、同社を世界的な企業に押し上げたが、社内的な対立で85年に退社。86年に設立したピクサー・アニメーション・スタジオは、多くのヒット作を出して、世界屈指の映像制作会社となった。
 
 97年、経営悪化で苦しむアップルの経営トップに復帰し、2000年には最高経営責任者(CEO)に就任した。復帰後は斬新なデザインのパソコン「iMac」を大ヒットさせ、携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」で音楽事業をパソコンと並ぶ事業の柱に育てるなど、業績を急回復させた。
 
 その後も、07年に発売したスマートフォン(多機能携帯)「iPhone」、10年のタブレット型情報端末「iPad」と、革新的な製品を次々と世界に送り出し、同社をパソコン大手から、デジタル家電やメディア配信事業を含むIT企業の雄へと変貌させた。11年4~6月期決算では売上高と最終利益で過去最高を更新、アップルは株式時価総額で世界最大のIT企業となった。
 
 一方で、04年に膵臓がんが発覚。半年程度の療養後、仕事に復帰したものの、11年1月から再び病気療養で休職し、8月にはCEOを辞していた。
 
 
 
 

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