2012年2月15日水曜日

■ホイットニー・ヒューストンを早死にさせた本当の理由【前編】


■ホイットニー・ヒューストンを早死にさせた本当の理由【前編】
http://news.infoseek.co.jp/article/menjoy_36979
Menjoy(2012年2月13日18時00分)

1980年代から90年代にかけて、4オクターブのパワフルヴォイスで一世を風靡。名実ともにポップス界の女王として君臨した米人気歌手ホイットニー・ヒューストンが現地時間の11日、カリフォルニア州のビバリーヒルズヒルトンホテルで遺体となって発見されました。享年48歳。

ホイットニーといえば、1992年にケビン・コスナーと共演した映画『ボディガード』があまりにも有名。主題歌『オールウェイズ・ラブ・ユー』など6曲を収録したサウンドトラックは14週連続全米No.1となり、日本でも洋楽史上最高となる250万枚超えを果たしました。これまでの累計レコード売り上げは全世界で1億7,000万枚以上。

その一方で、元夫ボビー・ブラウンによるDV、摂食障害、薬物やアルコールなどの数多くの依存症と嗜癖に苛まれ、リハビリ施設への入退院を繰り返していたホイットニー。

歴史的スーパースターから重度の依存症併発へ……。ホイットニーを破滅へと導いた本当の理由は一体何だったのでしょうか。

米カリスマ女性司会者オプラ・ウィンフリーの公式サイトに掲載されている2009年のインタビューをもとに、【前編】【後編】に分けて探ってみたいと思います。



■1:唯一“らしく”いられる相手がボビーだった

ホイットニー「きつかったわ……人の期待に答えようと精いっぱいで。度が過ぎるくらいトライしなければと。いつか逃げ出したかった」

ホイットニー「ボビーと一緒にいる時は、ありのままの自分でいられたの。情熱的に愛した。それはもうクレイジーなくらい。私たちはクレイジーに愛し合っていた」

あなたの声は世界が羨む宝物なのに、というオプラに、そう感じられたのはゴスペルを歌っていた10代の頃までで、“ホイットニー・ヒューストン”になった日から、それだけではなくなってしまったとホイットニーは打ち明けています。

彼女はむしろ不公平さを感じていたといいます。プライベートもビジネス同様、常に誰かに見られている日々。公園に行きたい。街中を夫と手と手をつないで堂々と歩きたい……。彼女は世界的スーパースターとしての成功と引き換えに、自由がないと感じていました。



■2:記録的成功が破綻の始まり

オプラ「うまくいかなくなったのはいつ頃から? 情熱的過ぎた?」

ホイットニー「そうね。(ボビーと)ぶつかり合うようになったのは……、『ボディガード』のあと。1993年、1994年、1995年はまさに“ボディガード・イヤー”だったから。アルバムリリース後、私は遠くへ飛び回るようになった。忙殺の日々で……、記録的大ヒットだったから。そして、私は出産した」
オプラ「彼はあなたに嫉妬していた?」

ホイットニー「彼はこう言われるのを嫌うと思うけど、でも、そうね」

1992年、『ボディガード』が公開された同じ年に、ホイットニー・ヒューストンはR&B歌手ボビー・ブラウンと結婚しました。3年の真剣交際を経て結婚したふたりに待ち受けていたのは、賛辞の言葉ではなく、心ない中傷でした。

当時、ボビーも実力派アーティストとして人気がありましたが、既に世界的大スターとなっていったホイットニーとの格差は歴然でした。

世界的ポップスの女王とバツイチ年下男性の結婚は、恰好のマスコミの餌食となり、“格下婚”や“ダメンズ婚”としてメディアに面白おかしく書き立てられたのです。

ホイットニーいわく、もともと言葉数が少なく、真面目な性格だったボビーは、周囲の言葉にひどく憤りを感じていたそうです。

「君は彼女に嫉妬しているんだろう。君が彼女の名声と成功、そして才能に嫉妬しているのは間違いない」

ボビーの男としてのプライド、歌手としてのプライドは音を立てて崩れ、次第に薬物とアルコールに浸るようになりました。ホイットニーもまた、麻薬やコカインといった薬物にのめりこみ始めたのは『ボディガード』直後だったと告白しています。



■3:罪悪感から、過剰にへりくだる日々

オプラ「だから、あなたは過剰に償おうとしたの?」

ホイットニー「当時は彼より下でいようと常に努力していたわ。“みんな聞いて。私はミセス・ブラウンよ。ミス・ヒューストンとは呼ばないで”という風に。私はそう演じていた」

2005年、ホイットニーはボビーの意向でリアリティ・ショー『Being Bobby Brown』に出演しています。ボビー・ブラウンとその家族や仲間のありのままの姿を映す30分番組で、全8回。前妻の子どもも共に住む彼女たちの豪邸に、四六時中カメラが入っている状態でした。

“ブラウン夫人”として認められたい。そう懸命に努めるホイットニーの姿は、人々の目に異様に映りました。放送直後からホイットニーを心配する声が数多く寄せられ、「あの結婚は失敗だった」と言われるたびに、ホイットニー自身もまた「この結婚はハッピーでない」と感じるようになりました。



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