2012年5月16日水曜日

■評論:伝統と継承――日本映画がカンヌで受賞できない理由


評論:伝統と継承――日本映画がカンヌで受賞できない理由
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-05/15/content_25384873.htm
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年5月15日

日本映画とカンヌ映画祭の関係をひもとけば、64年の歴史があるカンヌ映画祭において、最高章であるパルム・ドールを受賞した日本映画は3作品(中国はわずか1作品)。審査員賞も3回受賞しており(中国はわずか1回)、監督賞、俳優賞などでも素晴らしい成績を収めてきた。日本映画がアジアの芸術作品市場を牽引してきたと言われるゆえんである。一方、黒沢明や今村昌平、大島渚といった巨匠の亡き後、日本映画は人材不足に陥ったとも言われる。三池崇史や是枝裕和、園子温など新世代の映画監督が注目されてはいるものの、パルム・ドールまでの道のりは険しい。世界に注目される中堅監督もいるが、人を驚愕させるような作品は最近の日本映画からは出ていない。

伝統が日本映画の足かせに

近年のカンヌ映画祭は新しいものを積極的に求めている。一方、依然として日本映画は、大和民族の頑固さや形式主義を保持し続けている。主題にはいくらかの新味があるが、技法の革新や文化的枠組み飛び越えるのは苦手に見える。現在の日本の中堅監督たちは、安易に先達たちからヒントを得ようとしているようだ。しかしこのような保守的な伝統の継承こそが、日本映画が近年カンヌ映画祭で脇役に追いやられている原因となっているのではないだろうか。評判や市場的価値が悪いわけではない。しかしパルム・ドールを受賞するには至っていない。そしてそのような苦境は、全ての東アジアの文芸映画が陥っている問題でもある。

アジア映画の発展の歴史を見ると、常に日本が芸術映画の最前線にいたことが分かる。新しい風格の構築をしてきたのみならず、かつての日本の巨匠たちはヨーロッパ主流映画界に異議を唱えてきた。日本映画の発展は、中国や韓国などのアジア諸国より良好で安定している。しかしその長期的な安逸こそが、2000年以降の日本映画が徐々に国内市場に固執し、グローバルな視点で見て魅力のない映画ばかりの状況をもたらした。そしてこのような状況になった真の原因は、日本の観客が日本映画に愛着を持ち、擁護していることにある。このようなケースは世界的に見てもまれである。ハリウッドの世界的展開によってアジア諸国の映画市場はすでに「占領」されているからだ。日本は挙国一致で国産映画至上の旗を振っており、ハリウッド大作の度重なる爆撃を払いのけている。

2012年4月の興行収入を例にとると、上位5作品のうち日本映画ではないのは「バトルシップ」だけだった。7.53億円という興行成績は、アジアで売上記録を塗り替えた「トランスフォーマー」の成績から考えれば意外な結果である。この数字は中国市場でみても大した金額ではない。平均所得や宣伝コスト、運営コストなどが高い日本ならなおさらである。中国市場で1億元以上の売上となったハリウッド大作「タイタンの戦い」と「ジョン・カーター」も、日本ではトップ5入りを果たせていない。「ジョン・カーター」はやっと10位、「タイタンの戦い」などはさらに悲惨で1.28億円という散々な成績となった。ハリウッド映画上位3作品の売上を合計させてやっと、日本のアニメ映画「名探偵コナン 11人目のストライカー」の売上になる程度だった。

ハリウッド大作が日本市場で伸び悩んでいるのは偶然ではない。しかし日本国民は、外来文化を排斥したり、反発したりしているわけではない。対称的なものとして、日本の音楽・ライブ市場において、欧米の様々な有名スターが日本をアジア公演の主戦場としている。チケットの売上が見込めることもあるが、日本国民の中に親米傾向があるためである。にもかかわらず、ハリウッド大作はなぜ日本市場で興行成績を伸ばせないのか。

自文化でハリウッド映画を撃破する日本映画

ハリウッド映画は商業的な意味で質と技術が高く、日本や中国、あるいはヨーロッパやアジアの映画に勝っている。それにもかかわらず日本市場で勝てない主要な要因は、日本映画に一定の質があるためだ。2012年4月の最終週の興行収入トップ10を例にあげると、上位に入った映画のタイプやジャンルの幅はどんな国のそれより広い。その中には子供向けの「クレヨン新ちゃん」や「コナン」の劇場版や、ラブストーリーの「ももへの手紙」や「SPEC 天」、日本の商業映画を象徴する「仮面ライダー」、倫理を問う「僕らがいた」などがある。「バトルシップ」の単調なストーリーや「タイタンの戦い」の文化的差異よりも、日本映画の持つ日本的なストーリーのほうが合っていると観客は感じるのだ。また、日本の映画監督や配給会社も日本の観客が喜ぶ映画をよく知っており、そのような映画が映画館で上映されるわけである。

日本の映画市場が自国産に固執していると言いたいわけではない。むしろ、日本映画市場の開放性と制限の緩さは誰もが知るところである。しかし、このような堅固な日本映画中心の状況が、日本映画が大きく変化することを難しくしている。国内興行成績の安定が、中堅や新人監督の国際化への気概を失わせているのだ。

観客の志向が日本映画の将来を決める

2000年以降の日本映画は、佳作は多いが賞には恵まれなかったと言って良い。中堅監督が成長し、新人監督は誕生している。総じていえば、実力のある映画監督は少なくない。撮影技術でも優れたものがある。だが、作品自体は伝統文化に拘泥している。そのため、しばしば欧米の映画祭で注目されても、映画の保守性や頑迷性から賞を逃す結果となっている。

実のところ、現在の中国の第五世代や第六世代の映画監督と同様、日本の中堅と新世代の映画監督も模索時期に入っている。しかし中国の第五世代や第六世代の映画監督と状況が異なるところは、日本国民の国産映画に対する態度である。この態度が今後の日本の映画監督自身と映画芸術に対する態度を決定するだろう。

高齢社会に突入したことから、配給会社にせよ映画教育の分野にせよ、今の日本映画界は、伝統文化の色が濃厚になってきている。2011年秋に早稲田大学安藤映画実験室を取材したことがあったが、代表者の安藤玄平教授は「日本文化は日本映画の本質的な部分だが、一方でそれが束縛となっている」と嘆いていた。今の日本人は、日本の伝統文化とヨーロッパ文化の差異を借りて度々世界の映画界に異議を唱えた以前の日本人とは異なる。日本が国際化するにつれて、ますます多くの「メイド・イン・ジャパン」がヨーロッパに定着している。空手や相撲、歌舞伎、狂言などの日本文化が世界に認められた実績がある一方で、後継者たちは先達の業績の橋渡しができていないままでいる。1990年代以降、巨匠たちが退場し、中国や韓国の映画が盛り上がっている。そして日本映画は徐々に自国に回帰し、自国でその腕を磨き続けている。



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