2012年6月2日土曜日

■渋谷の凋落に「埼京線の影響」説


渋谷の凋落に「埼京線の影響」説
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/yukanga/2012/06/post-628.html
[2012/06/01]

“流行発信地”という呼び名が廃れている。

90年代と比べ、ここ数年、渋谷発のブームが生まれているとは言い難い。

なぜだろうか?

まず、近年の渋谷を振り返ってみると、『ヤマダ電機』などの大型チェーン店が増加。2010年代に入ると、『H&M』『ユニクロ』などのファストファッション店もでき、街から“渋谷らしさ”がなくなっている。その一方で、90年代のCDバブルとともに隆盛を誇った『HMV』が閉店。『センター街』を『バスケ通り』に改名するなど、渋谷の象徴がどんどん消えて行っている。

90年代に巻き起こった女子高生ブームは渋谷を中心に生まれ、96年にはルーズソックスやプリクラなどが一大センセーショナルを起こし、全国にまで波及していった。

96年には、埼京線が渋谷まで開通し、それまで池袋で遊んでいた埼玉県民も気軽に足を運べる地域となっている。

これにより、それまで以上に女子高生の人数が増えた影響で、ルーズソックスやプリクラが大ブームになったのは間違いないだろう。

だが一方で、埼京線開通が渋谷を流行発信地から遠ざけた一因となったという見方もできる。

96年まで、直通電車で渋谷に来られるのは、東京都民か神奈川県民に限られていた。“自分たちだけの街”だった渋谷が、より多くの人間に触れられるようになったのだ。

時期を同じくして、『裏原宿』が活気づいていることも見逃せない。それまで渋谷中心に活動していた若者は、『ウラハラ』に移動していったのだろう。

当時、渋谷を定点観測していた雑誌『アクロス』には、こんな記述がある。
「渋谷の中心に、“これまで渋谷にいた”人々が減っている。これまでいた、というのは、例えば流行のファッションをして、アナログレコードを買って、というような、いわゆるおしゃれな若者。そんな“渋谷的”な人々は、ではどこにいったのかというと、カウント地点の中では明治通りに集結していた」(97年9月号)

その後も、01年には湘南新宿ライン、02年には特急『成田エクスプレス』の一部列車が停車開始。08年には東京メトロ副都心線が開業し、あらゆる県からスムーズに渋谷に行けるようになった。

より多くの人間が集まるようになった影響もあり、大型チェーン店が増えて行ったのかもしれない。それにより、街の個性が薄れ、流行発信地から遠ざかっていったのではないだろうか。



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