日本のホームレス、物乞いにならない理由とは?
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-07/08/content_25847815.htm
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年7月8日
中国語情報サイトの日本新聞網は7月5日、『日本社会にはなぜ物乞いがいないのか』とする記事を発表した。内容は下記の通り。
今夜、東京では小雨が降った。中国の江南地方と同じく、現在は梅雨時だ。
帰宅する途中、一人の老人が自転車に乗り、空き缶を詰めた袋を積んでいた。翌日は資源ゴミ収集日のため、この老人は収集業者が来る前に、居酒屋の店員が退勤時に捨てた空き缶をすべて持ち去ったのだろう。
一台の自転車が前後に数百個の空き缶を積む。私は好奇心に駆られ、「いくらで売れるのか」と老人にたずねた。個人による空き缶の収集は、厳密に言えば違法行為であり、地方政府が収入の一部を失うことになる。そのため老人は私に対して警戒を強めた。
老人は雨に濡れた3本の指を伸ばした。雨の中これほど苦労しても、これらの空き缶は3000円でしか売れないのだろう。今夜はこの老人にとって、週に一度の「書き入れ時」だったのだ。老人はこのお金でカップ麺と豆腐を買い、日本酒を手にし、橋の下のビニールシートで囲った家で、今夜の収穫を楽しんだ。
この老人はホームレスだった。統計データによると、東京都のこのようなホームレスは、2000人以上に達する。
昨年夏、筆者は東京都江戸川区の橋の下で、ホームレスの家を見たことがある。橋が屋根となり、江戸川を生活用水とすることができる。そこはまた国の土地であるため、ホームレスが身を寄せる場所となった。
これらの「家」は、水色の分厚いビニールシートによりできており、中には拾ってきた布団があり、小さなテレビや炊飯器等の家電も目にすることができた。どこかから手に入れた発電機が、ホームレスたちの自家用発電設備となっていた。
彼らは普段、駅前のゴミ箱や電車から、人々が捨てた雑誌を拾う。夕方になると、発売から数日しか経っていないこれらの雑誌を集め、駅前や銀座のような繁華街で、定価の半額で販売する。警察はホームレスを憐れみ、見て見ぬふりをする。
これらのホームレスの多くは高齢者で、中には中年の姿も見られる。かつてはサラリーマンや個人事業主であったのだが、さまざまな原因により、このような生活を選択した。ある高齢のホームレスは、「このような暮らしを1年間送ると、毎日会社に通うのが嫌になった。目覚まし時計のない暮らしだから、とても幸せだ」と語った。
日本政府は低所得者を対象に、生活保護を実施している。衣食のめどが立たなければ、現地の役所に行き、生活保護を申請することができる。東京で生活保護を受ける場合、毎月約12万円の生活保護金が支給される。しかし多くのホームレスは、人として自力で生活するべきだと考えているため、生活保護の受給を拒んでいる。
東京から全国に至るまで、物乞いの姿がまったく見られない。物乞いになるため、手足を切断された子供などもってのほかだ。日本には物乞いがいない、これは良い事なのかもしれないが、不可解な事でもある。
慶応大学で社会学を教える島田教授は、「日本にはなぜ物乞いがいないのか」という質問に対して、「日本人には恥の意識があり、物乞いをするくらいなら飢え死にした方がましだと考えている。日本にはまた、働かざるもの食うべからずということわざと、武士は食わねど高楊枝という文化がある」と答えた。
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