2012年10月7日日曜日

■【コラム】 中日文化交流は永遠に続く―他国に例を見ない日本の漢学研究の深さ―


【コラム】 中日文化交流は永遠に続く―他国に例を見ない日本の漢学研究の深さ―
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1005&f=column_1005_034.shtml
2012/10/05(金) 14:02
       
 最近は、毎年中国語スピーチ・コンテストが行われており、その決勝コンテストがテレビでオンエアされている。大勢の在中国外国人留学生や中国で仕事をしている外国人がこれに参加しているが、ほとんどの人は上手な中国語でパフォーマンスしている。

 中国は人口13億数千万といわれており、地球全体が70億といわれる今日、単純計算でも約5分の1の人たちが中国語を使っていることになろうが、中国語にも方言がたくさんあるので、標準語またはそれに近い中国語を学んでいる外国人を対象とするコンテストといった方がよいかも知れない。

 こういうコンテストになると、主役はほとんど欧米系やアフリカ、中近東の人たちで、日本人の姿を目にすることは少ない。日本人の中にも、中国語の上手な人がかなりいるが、日本人はこういうことにあまり興味を示さないのか、あるいは日系企業で働く人たちは、会社の雰囲気として、こういう場でパフォーマンスすることを推奨していないような気もする。これはそれぞれの自由であり、面白いと思えば参加すればよいのである。

 しかし、日本と関係のある仕事をしてきたので日本びいきになっているわけではないが、日本人の中国語・中国文学研究の蓄積にはすばらしいもの、ユニークなものがある。特に日本には数千年の漢学の蓄積があることは他の国にはとうてい及ばぬことと言っても過言ではない。もちろん、ロシアやアメリカにも東洋学の分野での成果があるが、いろいろ調べてみると、やはり日本の漢学分野における蓄積は、一大山脈と言える。知人で宋史に詳しい人に、日本で買った「宋名臣言行録」を見せるとたいへん驚いていた。さらに「菜根譚」という本もお見せすると、そうか、日本人はこんなに中国のことを知っているのかと感心していた。もちろん、すべての日本人がそうだということではないが、少なくとも欧米人や中近東の人に書道に詳しい人は一人も見たことがない。

 「脱亜入欧」や「嫌中派」とかいうものも存在しているが、いろいろ国と国の問題があっても、中日両国の文化交流は途切れることはないと思っている。

 スピーチ・コンテストの舞台に姿を現わさなくても、いろいろ中国について勉強している日本人のいることも忘れてはならない。



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