2012年12月2日日曜日

■【コラム】韓国にあって日本にないもの


【コラム】韓国にあって日本にないもの
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/12/02/2012120200161.html
2012/12/02 09:58 朝鮮日報

中国内の外国人留学生29万人、韓国人留学生は1位の6万人
100年前に多くの留学生を送り込んだ日本、活力を失い留学生激減
韓流や韓国企業の力強さ、教育にも反映


 今月中旬、中国・南京を訪問した。道を歩くと、公害で顔がざらつくのを感じた。自動車には「道を譲る」という行為は見られず、人々は不親切が体に染みついているようだった。商店で品物を選んでいると、従業員が近づいてきて「閉店時間なので早く出ていってほしい」と叫ぶ。それでも北部の都市より大気汚染がましだし、人々が冷たくないというのが、ここに長く住んでいる人たちの話だった。

 このような南京で、小学生から高校生まで、韓国人の児童・生徒180人に出会った。韓国人のアン・ピョンモ校長が2003年から運営している南京エコ国際学校の在校生たちだ。児童・生徒のうち、駐在員の子女を除き「中国の大学に進学して中国について学びたい」という意志を持って一人で留学している児童・生徒は60人に達した。もちろん児童・生徒の意志よりも両親の意欲の方が重要だったはずだ。子どもの未来を中国に賭けたというわけだ。

 「いくら大国とはいえ、このような不便な都市に子どもを一人で送り出すことができるだろうか?」。韓国に戻り、統計を調べているとき、韓国人にはこのような心配は通じないということを知った。今年初めの中国教育省の発表を見ると、中国国内の外国人留学生29万人のうち、6万2442人が韓国人学生だった。2位の米国人留学生の2倍に達する。

 校長が子どもたちに何か一言言ってほしい、というので「今後は君たちが時代の主役になるだろう」と話した。ありきたりの言葉に聞こえたかもしれないが、本心だった。日本や米国から戻ってきた留学生たちがそうだったからだ。20世紀後半以降、韓国ほど他の国の長所をどんどん吸収しながら発展してきた国も珍しい。国内では互いに競争し、埋もれていくようにも見えるが、外から見るとわれわれは依然として力強く、チャレンジし続けている。

 100年前の日本が、今の韓国のようだった。19世紀から20世紀初頭にかけて、日本が送り出した留学生は約2万4700人に達し、最大の留学生輩出国だった。岩倉視察団が欧米列強に送り込んだ留学生43人の中に、6歳の少女が含まれていたという事実から、当時の留学熱が想像できる。近代日本のまぶしいほどの発展は、留学生が「猿」とからかわれながらも文物を日本に伝え、大国との懸け橋の役割を果たした結果だった。日本に巻き付いていた鎖国の鎖を外したのも留学生だった。

 今、中国内の日本人留学生は、韓国人留学生の半数にも満たない。米国内の日本人留学生も韓国人留学生の28%にすぎない。他国から学ぶことがない国になったからではない。日本は先進国の仲間入りした後も1980年代までは多くの留学生を送り出していた。留学生の数が激減したのは、経済成長が足踏み状態となり、社会が活力を失い始めてからだった。

 海外の留学生は、国家の希望と国民の力強さをほぼ正確に反映する。日本の右翼化を「暴走老人のあがき」程度と眺めていられるのも、100年前の日本の力強さを今われわれが持っているからだ。世界中を熱狂させている韓流は、100年前の欧州と米国が熱狂したジャポニズム(日本趣味)のように華麗で、韓国企業の市場掌握力は戦後日本の企業の勢いを感じさせる。時代が変わったのだ。

 南京で出会った韓国人児童・生徒たちに「愛国」という古臭い言葉を持ち出した。日本に留学していた1997年のアジア通貨危機を思い出したからだ。当時の韓国は、経済的に滅びた国だった。ウォン貨の価値は半分にまで落ちた。何気なく訪れたなじみのカレー屋の前で500円玉を握り締めて迷いながらも立ち去ったとき、学費の送金がストップして日本を去る韓国人留学生の姿を目にしたとき、私は生まれて初めて「国とは何なのか」と悩んだ。留学は小さな経験でありながら、大きなことを感じさせてくれる。

 「巨大な無駄遣い」と言われてもいい。若者たちが国を考えるということだけでも、留学は手元に残るものが巨大だといえる。



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