2013年3月1日金曜日

■【仏国ブログ】フランス人デザイナーの展覧会、日仏文化交流に貢献


【仏国ブログ】フランス人デザイナーの展覧会、日仏文化交流に貢献
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0301&f=national_0301_002.shtml
2013/03/01(金) 07:42

 フランスの情報サイト「NEWS Press」は、20世紀パリの有名な建築家と日本との関係に焦点をあてた展覧会について紹介した。

 2月23日からパリのサン・テティエンヌ近代美術館で開催されている「シャルロット・ペリアンと日本」では、フランスの有名な女性デザイナー・建築家であるシャルロット・ペリアンが、その創作活動においてどのように日本から影響を受け、また影響を与えたかを紹介していると伝えた。

 シャルロット・ペリアンは、1940年に日本の商工省(現在の経済産業省の前身)によって「輸出工芸指導顧問」として招聘され、海外向けの工芸品の改良や指導を任された。そこで、日本の若者たちに、ヨーロッパにおけるモダン・デザインの実践方法を伝授した。

 また、日本の伝統技術や工芸品を発見してまわり、そこからモダン・デザインを生み出す試みをした人物でもあり、デザイン建築の世界でフランスと日本の架け橋となり、両国に偉大な業績を残している様子が展覧会を通して見てとれるという。

 木や竹を素材として重視し、ヨーローッパの重厚な石造りとはまた異なる、日本独特の空間や素材の使い方を提唱し、日本のデザイン界にも衝撃を与えたといわれている。さらに子供の落書きのような原画をそのままタピスリーにするなど、戦後のデザイン界で新しい流れを作り出し、今もその影響が家具や建築で見受けられる。

 フランスに帰国後は、今度はフランスで精力的に日本文化を発信し続け、フランス人に新たな素材とデザインの空間を提案した。

 シャルロット・ペリアンは、東京・上野にある東京国立西洋美術館を基本設計した、世界的に有名なル・コルビュジェのアトリエで働いており、そこには日本の建築家である坂倉準三や前川國男もいた。

 日本へ招聘された陰には、坂倉淳三の力が大きかったといわれており、後年になっても有名な建築物を共にデザインしていると伝えられている。若い時代を共に学びながら仕事に励んで過ごした、その絆がいかに強かったかがうかがえる。

 この展示会は、両国の交流が今よりもずっと少なかった戦前・戦後まもない時代にあって、フランス人が日本の文化に触発され、時代に影響を与える新たな価値を築いた事実を伝えてくれている。

 今はインターネットの力もあり、各ジャンルで日本文化に魅せられるフランス人が以前にもまして多く、またその逆も同じであろう。今後も芸術や技術の世界で、両国の文化的な交流を通じ、シャルロット・ペリアンが遂げたように、両文化が切磋琢磨されて芽生える、新たな価値観が生まれることを期待したい。



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