【コラム】「夕食」を味わったことのない韓国の50-60代
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/12/2012081200255.html
2012/08/12 08:20
一言で言って、「夕食」というものをじっくりと味わったことのない人生だった。現在の5060世代(50代と60代)は、得てしてそうだろう。1日24時間働き続けた職場で、下宿生のように寝るためだけに帰るマンションの入口で、ヒットラーがアウシュビッツ収容所の入口に貼り付けた「労働が君たちを自由にする」というスローガンの虜になって生きてきた。5060世代には教養もなく、趣味もない。5060世代は、たまたま手に入れたフィルハーモックのチケットを片手に、しわしわの背広姿でコンサートに出掛け、あわてて口に運んだ夕飯のせいでゲップを繰り返しては、眠気に耐えられず、われ知らず椅子から崩れるように落ちていく。次の瞬間、ハッとわれに返って目を見開き、崩れた姿勢を整えるものの、再び眠りに就いてしまう。今だから告白しよう。あのとき、恥ずかしさも忘れて大いびきをかいていたのは、他でもないまさに私だった。残業している同僚のことを思うとなかなか切り出せず、適当にうそで固めて、家族と共にひそかにコンサートに出掛けた私は、まさに5060世代だ。美しく着飾った紳士、淑女たちの冷たい視線を背に受けながら、口元から流れ出るよだれを誰にも見られないようこっそり拭き取った日のことを、今も鮮明に覚えている。
振り返れば、われわれは「楽しい夕食」というものを経験したことがない。いつも午後9時、午後11時の締め切りに合わせて仕事に明け暮れていた。だからといって、われわれが「ばか」なのかというと、そうではない。何も上司の命令が恐ろしくて、そうしていたわけでもない。国のために昼夜エンジンを回し続けてこそ、数十年、数百年も立ち遅れた先進国との格差を埋めることができると、かたくなに信じて真面目に働いてきただけのことだ。これは何もごく少数の人に限ったことではなく、5060世代であれば、誰もがこのようなコンセンサスを持ち合わせていた。1948年、1カ月かけて船に乗って参加したロンドン五輪。夏服を買う金がなく、冬服を着て参加したその年のロンドン五輪の参加国「コリア」を見ながら、将来は金メダル10個、10位以内入賞という「はるかに高い目標」を達成しなければならないと感じた切迫感がそれだ。民主主義が「まだまだ遠い世界」のことのように思えた時代、5060世代は国民教育憲章の書き出しである「民族中興の歴史的使命を帯びて、この世に生まれてきた」ことを、まるで何かの運命のように叫び続けた。
数年前に目にした広告のキャッチコピーを今も覚えている。「一生懸命に働いたあなた、もう過去のことは忘れなさい」。クレジットカードによる消費を促す広告だった。昼夜の区別なく1年365日にわたって一生懸命に働いたのだから、せめて夏休みくらいは全てを忘れて休日を楽しめという意味合いだった。このキャッチコピーを見たときも、やはり5060世代はオロオロと周囲を見渡した。この言葉が自分に対する言葉なのか、あるいは甥っ子や息子のための言葉なのか分からなかったからだ。今だから言おう。このような広告が出回った時、5060世代はこれが自分のための言葉だと勘違いして、実は人知れず喜んだのだ。子どもたちがその広告を見て「お父さん、ゆっくり海外旅行でも楽しんできてください」と言ってくれるとばかり思っていた。ところが結果は20、30代の一人旅だけが急増し、5060世代は変に期待した自分自身がばからしく、赤面するほかなかった。家長と呼ばれるにふさわしく養わなければならない家族が増え、会社では髪の毛が抜け落ちる部長くらいの年齢になったとき「自分は一体何のために生きてきたのか」と人知れず虚しさに襲われる瞬間がどれだけ恥ずかしいことか、20、30代にはきっと分からないだろう。
「夕食のある生活」という大統領選挙のスローガンが、しきりに目に飛び込んでくる。よほど人気があったのか、同じ党のライバルが冗談で「そのスローガンを使わせてほしい」と頼んだといううわさもあるほどだ。ありがたい。私にも夕食があるということを今更ながらに思い知る。昇進のため「朝型人間」になって外国語の一つでも覚える努力はしてきたものの、チョコレートのように甘ったるい「夕食のある生活」という言葉が、まさか自分の耳をくすぐる日がやって来ようとは、夢にも思わなかったのだ。
ところで世の中は本当に哀れなものだ。最近の主なニュースといえば、「4-6月期の成長率は50%減」や、一度揺さぶられると二度と立ち上がれない「L字形長期不況の恐怖」におびえる「欧州危機」といったものしかない。財産といえば1軒のマイホームが全てだが、子どもたちの結婚は目前に迫っており、退職者数は急速に増えている。夕食はおろか、数万円足らずの老後の資金でさえ、一瞬のうちに消えかねない状況だ。今や最大有権者集団となった5060世代にとって、「夕食のある生活」という言葉はやや気恥ずかしい。自分たちとは全く関係のない言葉のように思えてならないからだ。
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