【仏国ブログ】高野山で座禅を体験、ただし宿泊料金は少し高め
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1113&f=national_1113_024.shtml
2013/11/13(水) 11:27 サーチナ
フランス人男性が、ブログ「Julia Chou」で、和歌山県の高野山を訪れたことをつづった。
筆者はまず、「高野山は標高1000メートルほどの山で、ケーブルカーで気軽に登ることができる」と紹介。また、「数えきれないほど多くの寺院があり、中には宿泊施設のついたものもある」と述べ、宿坊の存在を説明した。
ただし、その宿泊料金は、少し高いと感じたようだ。筆者は有名ホテルで、「普段なら400ユーロ(約5万円)のところ、100ユーロ(約1万3000円)で提供されていた部屋に宿泊した」と述べており、設備やサービスが整ったホテルと比較しているところが面白い。筆者が高野山で宿泊した寺院は、1人1泊約100ユーロで確かに値段が少々高めに感られるかもしれないが、訪れた時期が紅葉真っ盛りだっただけに、シーズン料金だった可能性も考えられる。
また、寺院に宿泊した際、「食事は菜食主義であり、朝6時と夕方6時には座禅の時間が設けられていた」とつづった。さらに、「部屋はスライド式の紙の敷居で分かれているが、この敷居は触らないほうがよさそうだ」と述べ、日本のふすまがひとつの部屋で「壁」のような働きをしていることへの驚きをも示した。また宿泊した部屋には、「電化製品は一切なく、当然暖房もなく、値段のわりには快適とはいえなかった」と述べ、少しがっかりした様子を示した。
そもそも、宿坊は僧侶が宿泊するための施設であったのだが、時代の流れとともに寺社を参拝する一般人も宿泊させるようになったといわれている。すなわち、本来であれば旅館やホテルのような「お・も・て・な・し」が存在しなくて当然のこと。それにもかかわらず、掲載されている写真を見るかぎりでは、充分すぎるほどの“サービス”を受けているように見えるのは気のせいだろうか。
筆者は翌日の観光の様子について、「数えきれないほど多くの墓石が密集しており、まるで何かの映画の中に入ってしまったような気分だった」と表現し、写真とともに紹介した。フランスと日本の墓石だけでも大きな違いがあるのに、さらにそれが密集した光景は圧巻だっただろう。筆者は高野山での散策を楽しんだようで、「途中ですれちがう日本人は、皆感じがよく親切だった」と述べた。
筆者のブログからは、近代的な設備やサービスが整ったホテルと、電化製品もなくシンプルな生活を享受することに価値を見いだす寺院の宿泊施設に対して、その金額が同じだったことに違和感を感じた様子が見られた。しかし、寺院での宿泊施設では、普段は体験するのが難しい、座禅の経験や精進料理を味わう機会が得られるという付加価値がある。これを求めてやってくる日本人が多い中、西洋人が必ずしも同じ価値観を持っているわけではないということが分かる。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1113&f=national_1113_024.shtml
2013/11/13(水) 11:27 サーチナ
フランス人男性が、ブログ「Julia Chou」で、和歌山県の高野山を訪れたことをつづった。
筆者はまず、「高野山は標高1000メートルほどの山で、ケーブルカーで気軽に登ることができる」と紹介。また、「数えきれないほど多くの寺院があり、中には宿泊施設のついたものもある」と述べ、宿坊の存在を説明した。
ただし、その宿泊料金は、少し高いと感じたようだ。筆者は有名ホテルで、「普段なら400ユーロ(約5万円)のところ、100ユーロ(約1万3000円)で提供されていた部屋に宿泊した」と述べており、設備やサービスが整ったホテルと比較しているところが面白い。筆者が高野山で宿泊した寺院は、1人1泊約100ユーロで確かに値段が少々高めに感られるかもしれないが、訪れた時期が紅葉真っ盛りだっただけに、シーズン料金だった可能性も考えられる。
また、寺院に宿泊した際、「食事は菜食主義であり、朝6時と夕方6時には座禅の時間が設けられていた」とつづった。さらに、「部屋はスライド式の紙の敷居で分かれているが、この敷居は触らないほうがよさそうだ」と述べ、日本のふすまがひとつの部屋で「壁」のような働きをしていることへの驚きをも示した。また宿泊した部屋には、「電化製品は一切なく、当然暖房もなく、値段のわりには快適とはいえなかった」と述べ、少しがっかりした様子を示した。
そもそも、宿坊は僧侶が宿泊するための施設であったのだが、時代の流れとともに寺社を参拝する一般人も宿泊させるようになったといわれている。すなわち、本来であれば旅館やホテルのような「お・も・て・な・し」が存在しなくて当然のこと。それにもかかわらず、掲載されている写真を見るかぎりでは、充分すぎるほどの“サービス”を受けているように見えるのは気のせいだろうか。
筆者は翌日の観光の様子について、「数えきれないほど多くの墓石が密集しており、まるで何かの映画の中に入ってしまったような気分だった」と表現し、写真とともに紹介した。フランスと日本の墓石だけでも大きな違いがあるのに、さらにそれが密集した光景は圧巻だっただろう。筆者は高野山での散策を楽しんだようで、「途中ですれちがう日本人は、皆感じがよく親切だった」と述べた。
筆者のブログからは、近代的な設備やサービスが整ったホテルと、電化製品もなくシンプルな生活を享受することに価値を見いだす寺院の宿泊施設に対して、その金額が同じだったことに違和感を感じた様子が見られた。しかし、寺院での宿泊施設では、普段は体験するのが難しい、座禅の経験や精進料理を味わう機会が得られるという付加価値がある。これを求めてやってくる日本人が多い中、西洋人が必ずしも同じ価値観を持っているわけではないということが分かる。
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