「最後の言葉は中国人への贈り物」=丹羽大使への手紙がネット上で話題に―中国
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2012年11月30日 11時4分
2012年11月28日、丹羽宇一郎駐中国大使が離任した。「尖閣に始まり、尖閣に終わった」と締めくくられた記者会見の後、中国ではネット上に現れた「丹羽大使への手紙」という文章が話題になっている。以下はその内容。
今日、大使は北京を去り、故郷へと帰っていきます。見送りの人はいるのでしょうか。寂しく去って行かれることを残念に思います。
あなたにとって大使としての2年4カ月は、人生の絶頂であり、谷底でもありました。日本政府が任命する大使の任期は少なくとも3年ですから、明らかに、大使は任期前に解任されました。
私は大使のことを誇りに思っていました。中日の国交正常化後40年間で、初となる民間出身の駐中国大使だったからです。大使は、国際ビジネスマンの嗅覚と伊藤忠帝国の統治者としての手腕によって、何らかの成果を上げることができたはずですが、2年あまりが過ぎ去り、何も成し遂げることができませんでした。ただひとつの功績は、大使が中国の27の省、市、自治区を訪問し、日一日と変化するこの国を理解しようと努められたことです。あなたのことを「最もついていない大使」と呼ぶ人がいますが、同感です。中国語で言う「官不逢時(官職に就く時期が悪かった)」というものでしょう。
26日、大使はささやかな記者会見を開きました。私は出席しませんでしたが、大使は厳しい口調で、短かった任期を「釣魚島(尖閣)に始まり、釣魚島に終わった」とおっしゃられたそうですね。確かに、2年と数カ月の間、大使は釣魚島問題に頭を悩まされてきました。深夜に中国外交部に呼び出されて抗議を受けたことを除き、大使が国のために懸命に働いていたことを、日本のメディアはほとんど報じなかったようです。
2010年9月、日本政府が伊藤忠商事の取締役を駐中国大使に任命すると発表した時、私には嫌な予感がしました。大使は、外務官僚たちの口元に置かれた肉を奪い去ったからです。大使は伊藤忠という巨大商社を率いる能力をお持ちでしたが、官僚に対抗し、官僚言葉を操る技量は持ち合わせていませんでした。
外務省が多数の「中国通」を集め、北京の日本大使館に赴任させたという知らせに触れて、きっと大使の身辺には精鋭からなる多数の「ボディーガード」がつけられたのだと思いました。しかし、大使はやはり過ちを犯しました。大使の職にありながら、ビジネスの頭で問題に取り組んだのです。大使は、人と人は交流を通して理解できると信じ、どんな外交問題も話し合いによって解決できるとお考えだったのです。
今年6月、大使は英誌の取材に対し、「尖閣には主権争いが存在する。石原慎太郎が購入に踏み切れば、日中関係は悪化する」という考えを伝えられました。この発言は日本政府の「領土問題は存在しない」という立場に真っ向から対立するものです。世論が大使の資格なしと判断したのも無理はありません。
大使の憂慮と警告は、どれも間違っていませんでした。その後に起こったことのすべてが、大使の言葉が正しかったことを物語っています。しかし、大使のリアリズムは石原のロマンティシズムに敗れました。不景気の中、生活が苦しくなり続ける日本で支持を得るのはナショナリズムだけなのです。中国の肩を持ったあなたは、「売国奴」になってしまいました。
西宮伸一新大使の突然の死去がなければ、大使は9月末で帰国されたはずでしたが、不本意ながら任期を延長し、11月28日になってようやく大使公邸に別れを告げて、普通の老人として東京行きの飛行機で帰国されました。
大使が東京に到着した時、記者数名を除いては、花束を持って出迎えるような人はいないと思います。多くの日本人は、それがまともな言葉であったとはいえ、言うべきでないことを言った大使を変わり者扱いしているからです。
だから、今後日本に居心地の悪さを覚えたら、暇を見つけて中国に来て下さい。
中国人は、本当はとても情を重んじます。例え良心から本音をこぼしたとしても、ずっとあなたのことを友人だと思っています。中日友好のためには、大使のような実直で理性的な政治家、ビジネスマンが必要です。ある意味で、中国人は日本人よりも強く中日友好を望んでいます。
離任前に大使がおっしゃったことの中で、言うべきでなかった言葉もあったかもしれません。しかし、口に出された以上は、それを中国人の未熟な心理への警告として受け止めます。「日本企業は中国にとって重要でない」という声に対し、大使は会見でこうおっしゃいました。
「日本は貿易立国であり、中国もそうです。経済的な部分での労働者への教育、ソフトウェアなど、日本に学ぶべき点は多々あります。工場を作って、効率良く動かすことだけが経済ではないのです。中国経済に日本は不要という考えは非常に傲慢であり、歴史がそれを証明するでしょう」
大使の言葉は、2年数カ月の任期の最後に、中国政府と人民に届けられた大切な贈り物です。
中国に、徐志摩という有名な詩人がいます。徐志摩が日本を離れるときに「お大事に、さよなら!」という詩を書きました。今日、私とたくさんの中国人からのお別れの気持ちに、この言葉を贈ります。
また北京に戻ってきて下さい。今後、大使に一番ふさわしい仕事は、両国の間に立ち、中日両国の友好と発展のため、ひたむきに知恵を出し続けることでしょう。大使はきっとそうすることでしょうし、必ずやそれをやり遂げてみせるはずです。
名もなき一中国人より。(翻訳・編集/岡本悠馬)
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