2012年4月5日木曜日

■村おこしに成功した高知県・馬路村   「おらが村方式」を中国に売り込んだらいかが?



村おこしに成功した高知県・馬路村
「おらが村方式」を中国に売り込んだらいかが?
【第95回】 2012年3月8日
莫 邦富 [作家・ジャーナリスト]

 以前、高知県を訪問した時、馬路村(うまじむら)を訪ねてみたいと県関係者に頼んだことがある。その時、スケジュールの都合で結局は実現できなかった。だから、昨年末、高知を再訪する機会を得た時、念願の馬路村の訪問がようやく実現できることにまず興奮を覚えた。

 馬路村の名前を初めて知ったのは、数年前の山梨県観光懇話会の会議中だった。「萌木の村」を経営する舩木上次さんの発言の資料に馬路村の名前が出ていて、そのユニークな筆文字の村名表示などを見て、村としては珍しいブランディング戦略を立てていると感心し、訪ねてみたいという気持ちが湧いてきたのだ。

 もう一つ、私の関心を引き寄せたのは、馬路村の「経営」だ。そこに日本的な何かがあるのではと、勘が働いたからだ。

深刻な中国の「三農問題」

 昨年の1月に、このコラムで中国の金持ち村を取り上げたことがある。江蘇省江陰市長江村と華西村だった。

 前者は1世帯に黄金100g、白銀100gのボーナスを配布したことで、中国で大きな話題を集めている。後者は、港湾、物流、鉄鋼、化学、不動産、機械電機製造などの8分野の48の企業を管轄し、10年の売上額は450億元になるという裕福ぶりだ。これまで、山東省栄成市の西霞村などの金持ちの村を訪問している。

 これらの金持ち村に共通しているのは、海外とのつながりを持ちやすい豊かな沿海部にあり、工業や加工業を積極的に進めることで、所得を大きく向上させたことである。その意味では、これらの村の成功経験は、中国の、特に内陸部にある多くの農山村にはとっては通用しない。

 本業の農業や林業で豊かになった村はないのか。これまでいろいろ探してみたが、残念ながら、私の取材範囲が狭すぎたのかもしれないが、数年かけて探しても見当たらなかった。

 青島市の郊外にある棉花村は、ある意味では健闘しているが、それでも農家料理と村の風景をセールスポイントとした観光業で、村おこしに成功したのである。農業や林業で豊かになったとは言えないが、その目標にやや近づいた形で村を発展させてきたと見ることができるので、私は関心を持ち、何度か訪問してみた。

 一方、中国の農村が疲弊している。若者たちが沿海部や都市部に出稼ぎに行ってしまったせいで、農村は日本の三ちゃん農業状態に陥っている。「三農(農業、農村、農民)」問題は中国経済の発展の足を引っ張る大きな問題となっている。農村と農業をどう振興させるべきかは、中国政府にとっても大きな課題だ。

 そのためか、2012年新年早々、中国共産党中央が出した「1号文件」という方針伝達の公文書は農業問題に焦点を当てている。「1号文件」とは、その年の最初の公文書のことを言う。2004年から9年連続で農業を「1号文件」のテーマにしている。まるで一つの伝統にもなっているようだ。このこともまた中国の農業問題の深刻さを印象付けている。

交通はとても不便なのに…

 いざ、馬路村に行くとなると、その交通の不便さが強烈な印象となった。1000m級の山々に囲まれた高知県東部の山間にあり、JRや国道もなく、昔は宅配便も来なかった山奥の小さな山村だ、と事前に調べて知ってはいたが、車で移動すると、やっぱり時間がかかった。

 高知県の方には申し訳ないが、東京や大阪などの大都市の視点から見れば、高知県は遠い。移動にはどうしても時間がかかってしまう。高知に降り立ってからも大変だ。私が大好きな四万十川に行こうとしても、その馬路村を訪ねようとしても、車で数時間の移動を強いられる。交通の便という視点から見れば、面積の96%が山林である馬路村は、本当に厳しい環境にあると言ってもいいようだ。

 高知県35市町村のなかで人口が2番目に少なく、村の人口も日本全土を席巻する高齢少子化の波に勝てず、ついにピーク時の3500人から1000人に減少した。だから、村に着いたらかなり高齢の方が迎えに来るのだろうと覚悟していたが、いざ村に着くと、びっくりした。出迎えに来た村の関係者も、宿泊先の従業員も若い方ばかりだった。

 山奥の小さい村なのに、馬路村の農業協同組合はユズみそ、ユズジャム、はちみつ入りユズ飲料「ごっくん馬路村」などのユズ加工品を日本中に販売し、そのブランディングに成功した。特に「ごっくん」は1990年「日本の101村展」で農産部門賞を受賞し、一躍、人気商品となった。同農協の売上も93年に10億円、98年に20億円、2005年に30億円を突破した。

 私事で恐縮だが、実はうちの妻も娘も馬路村のユズみそとユズジャムの大のファンで、私も中国に行く時、それをお土産に持って行く。馬路村のユズ作戦が大きな成功を収めたと評価してよろしいだろう。

 馬路村の成功の秘密は、ユズなどの村の製品を売るだけでなく、村全体をアピールする「おらが村方式」で村の知名度を高めていることにある。山奥に住むことを一種のライフスタイル、文化としてアピールしている。年間700万本の「ごっくん」が出荷されていることも、通販で広げられた消費者が20万人にのぼったことも凄いが、村のブランディングに成功したことがもっと重要だと思う。

 村を視察しに来るグループが年間300もある。就職先として馬路村を選んだ関西出身の若者が出てきたのもそのためだ。村外出身者が村にある企業の従業員の1割で、農協職員の半数ぐらいを占めている。それが馬路村を歩くと感じられたあの明るさにつながり、来訪者に感動を与えている。

村おこしの「手法」を輸出する

 しかし、その成功談に耳を傾けて安っぽい賛辞を送るのは私のポリシーに反する。馬路村が直面している課題も気付いた。

 通販で確保した顧客はそれ以上は増えていないし、客のリピーターの年齢を見ると、50~60歳の人がほとんどだという。つまり20年前から馬路村を熱烈に支持してきた人々が、今でも馬路村を支えている。若い新規顧客の開拓は思うほど順調ではないと推測される。

 もう一つの問題は、海外との接点がまったくないということだ。グローバル時代に突入した今、それが致命傷にもなりかねない。しかし、馬路村はどうもまだその課題を正面から考えていないようだ。

 日中間のビジネス交流の内容を見ると、ハードからソフトへ移行する傾向が顕著になりつつある。馬路村の「おらが村方式」というブランディング手法そのものも輸出できるのではないか、と私は思う。中国の内陸部にある農山村に馬路村のことを紹介したい。村長たちを馬路村に連れていきたい。それが馬路村を訪問した後の私の一番の感想だ。




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