【コラム】 大学の物理教師から有機農家になった中国人女性
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0726&f=column_0726_051.shtml
2012/07/26(木) 18:05
大学の物理教師から有機農家になった、中国人女性の話 前編
昨年の今頃、私は弊誌の新サービス紹介の取材先で一人の中国人女性に出会った。取材先は、北京の地下鉄5号線の最北端「天通苑北」を下車後、タクシーで約20分の郊外にできた、潤田農園だった。朝10時に到着すると、一人の女性が出迎えてくれた。名前は賽音さん。日本への留学経験があり日本語堪能。いわゆる農家の素朴なイメージに比べ、日焼けした中にもどことなく品を感じさせる人だった。
軽く挨拶をすませ会社兼住居の建物に通されると、収穫したての野菜が目に飛び込んできた。部屋の中に充満する野菜の青々とした薫りと色艶に、野菜ってこんなにイキイキしていたっけ、と驚いた。「無農薬ですから、どうぞ」と差し出された籠の中には、プリプリと真っ赤なプチトマトたちが水をはじいて並んでいる。
私たちが到着後ほどなくして、貸切バスでやって来た北京在住日本人の主婦の会と合流し、農地を見学させてもらった。余った野菜をひよこに食べさせていずれは有機卵にもトライしたいこと、生ごみなどを再利用した堆肥作りと管理方法、特殊なビニールハウスの構造、育てている野菜の品種についてなど、賽さんと寡黙なご主人、農園のスタッフが、見学者の素朴な質問ににこやかに答えながら回ってくれた。
新疆ウイグル自治区の出身の賽さんは、大学卒業後、故郷の石油化学学院で物理の教師として8年勤めていた。その後日本へ留学、一通り日本語や大学院などで学んだ後、農業コンサルタント会社「ミズホ」に勤務。そこで日本の循環型有機栽培法に出会い、農薬で死んだ土地が有機農法で再生し、おいしいお米や野菜が魔法のように実ったのを見て衝撃を受ける。
その後、結婚をきっかけに帰国し北京にやって来た賽さんは、もともと食の安全に疑問を抱いていた上にお子さんを授かったため、それまで以上に子どもには安全で美味しいものを食べさせたいという気持ちが増したという。
当時北京にあったいくつかの有機農園に訪問したが、レベルの低さと栽培へのリスクの高さを感じて、改めて日本式有機栽培技術のすばらしさを実感。中国では、堆肥と有機肥料の区別がつかなかったり、土作りの概念が確立しておらず、栽培の面で潅水から畝建てまで色々な問題が関わり、カンペキに害虫病を抑えるのは厳しい状況だったという。
そこで賽さんは、日本で学んだ経験を生かせば北京でも安全で美味しい作物作りは必ずできる、と確信する。現在の事業パートナーである「ジャパンバイオファーム」の方々やご主人の協力を受け、潤田農園を開いた。
しかし、農業は田舎モノの地位の低い人がやる仕事、というイメージが浸透している現在の中国。物理教師としてキャリアウーマンだった彼女と医者だったご主人が安定したキャリアを投げうってまで農家になったことに、周りの友達らは馬鹿にしたり、親からも反対された。
そんな中でも彼女たちは、有機栽培にかける情熱や理解ある同士の支えで乗り越えたという。最初の2年間は、荒れた土地をそれこそ土まみれになりながら作りなおし、3年目の2011年から野菜栽培を開始し宅配サービスを開始した。
一通り見学を終えたあと、私たちは賽さん一家が作ってくれた新疆の麺や、そこで採れた野菜のお料理をいただいた。普段北京で食べている野菜は、基本的に味が薄い(栄養も薄い)物が多いのに対し、こちらの野菜はみずみずしく味も濃厚で、“自然の恵みをいただいている”と表現するのにぴったりだと感じた。
賽さんの有機栽培への熱い想いと、愛情いっぱいに育った新鮮でおいしい野菜、そしてそこで働く人たちの親切さが、中国に4,5年住んで知らぬ間に蓄積されていた“中国の野菜っておいしくない”“中国人が求めるものは質より量と速さ”という私の古臭い概念を打ち破ってくれた。
走り出したばかりの「潤田農園」は、まずは農薬被害に敏感な日本人主婦をターゲットに据え、宅配販売の告知展開をしていった。弊誌でも何度か取り上げるたびに読者からの反応があり、顧客は徐々に増えていったという。
あれから1年たち、時々連絡を取ってはいたものの、今回ここで執筆するにあたり、その後の農園について改めて伺うことにした。(続)
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