コラム:ロンドンに「五輪の霧」
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE86J02M20120720
2012年 07月 20日 13:40 JST
五輪開催地がロンドンに決まった7年前に英国を包んだ歓喜は、開幕を直前に控えた今となっては遠い彼方に色あせ、現地はむしろ暗い気分にさえ覆われている。いったん競技が始まれば、スポーツの持つ熱気が急速に広がるだろうが、今のところメディアの注目は、警備上の問題や交通機関の混乱など、不安材料に集中している。
2005年7月、五輪開催が決定した翌日のロンドンでは、地下鉄とバスを狙った連続爆破事件が発生し、計50人以上が命を落とした。あれから7年が経ったが、この事件は今も暗い影を落としている。ロンドン五輪の警備をめぐり英国政府は、集合住宅の屋上などに地対空ミサイルを配備することを承認。また、会場警備を請け負う警備会社G4Sが計画通りの人員を確保できないことが判明し、警備要員としてアフガニスタン帰還兵を含む3500人の兵士を増員すると発表した。
現地では五輪開催への反感も強い。ロンドン市民は誰もが、五輪開催期間中の7月から8月にかけて交通機関が「カオス状態」に陥ると考えている。地下鉄構内では至る所に「当駅は五輪中は非常に混雑します」との注意書きがそこかしこに見られる。
五輪への反発感情には、英国ではなじみの深い階級闘争という側面もある。VIP向けにはスタジアム往復用の特別レーンが設けられているが、それに対して「残りの我々はどうなるんだ」という声が聞こえてくる。
世論調査によれば、ロンドン市民以外の英国民のほとんどは、自分たちに五輪開催のメリットはないと考えている。ロイターが先週実施した調査では、エコノミストの多くが、五輪は英国経済の一時的な押し上げ要因にはなるが、効果は長続きせず、2004年のアテネ大会同様に赤字イベントになるとみていることが明らかになった。
ロンドン市民の間でさえ、スタジアムや選手村の建設に使われた莫大な労力が、地域の貧困層にどれほど恩恵をもたらすのか論争を呼んでいる。スタジアムや選手村が建設された地域では、住民の約3分の1が移民であり、その多くが極めて厳しい生活を余儀なくされている。
一方、ロンドン五輪で米国代表が着るユニホームが中国製だったことが判明し、それを手掛けたアパレル大手ラルフ・ローレンは、議員らによる非難の集中砲火を浴びた。米上院のリード民主党院内総務に至っては、中国製ユニホームは全て燃やし、米国製に切り替えるべきだとも主張した。
五輪は単なるスポーツイベントではなく、社会的、政治的、経済的にも国家の威信をかけたイベントであるため、ありとあらゆる議論を呼び起こしやすい。その結果、注目が集まることでテロリストたちのターゲットにもなりやすい。米同時多発攻撃で狙われたニューヨークの世界貿易センタービルは、西側資本主義の象徴だった。五輪は、西側の誇りと企業のスポンサー活動の縮図と言えるだろう。
古代オリンピックは宗教行事の一環として、紀元前800年ごろから優に1000年以上続いた。その後、17世紀初めにイングランドのコッツウォルズで復活した「オリンピック」では、熊と犬を戦わせる種目や、互いのすねを蹴り合う種目のほか、しかめっ面の醜さを競う種目など、風変りな競技が行われていた。
それから2世紀以上が経った19世紀末、フランスのクーベルタン男爵が近代オリンピックを提唱。五輪は少しずつ姿を変えながら、国家主義的・商業主義的な色合いを強めてきた。
今や、開催国の軍部隊が警備に当たるようになり、莫大な企業の資金や税金が投入されるようにもなった。五輪がここまで重要なイベントになったのは、ナショナリズムやグローバル企業と融合する一方、宗教との関係は一切断ってきたからだ。
ロンドン五輪を待ち構えるのは、失敗だろうか、それとも成功だろうか。世界で数十億人が注目する巨大なイベントになった以上、どちらに転んでも、その結果は目を見張るものになるのだろう。
*筆者はオックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の共同創設者。英フィナンシャルタイムズ(FT)紙の寄稿編集者であり、FTマガジンの発起人でもある。著書には「What the Media Are Doing to Our Politics(原題)」など多数。
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