【コラム】 日本を滅ぼす超高齢社会(14)―『国民の生活が第一』とは?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0709&f=column_0709_025.shtml
2012/07/09(月) 10:05
民主党はついに分裂という最悪の局面を迎えた。政権奪取からわずか2年半余り。元代表や幹事長などの要職を務めていた党内随一の実力者・小沢一郎さんにしても、志半ばで党を去ることは苦渋の選択とか不本意というべきであろう。ただし、彼の自民党時代からの政治的な処世術を見ると、今回の行動は特に理解できないものではない。
理由は「野田政権はもう政権を取ったときの民主党ではない」ということ、大義名分は「国民の生活が第一」である。もともと民主党のキャッチフレーズだったが、今や小沢ら離党組による衆参両院の新会派名が「国民の生活が第一」となったため、本家本元の民主党からあっさりと持っていかれた。
「国民の生活が第一」。ごもっともだ。民主主義の国であり、福祉国家を築き上げてきた日本は、どの政権でも、国民の生活を最大限に配慮し、いろいろな場面で優先しなければならない。
2009年夏の衆院総選挙で、民主党はマニフェストで「川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」と掲げた。このいわゆる「コンクリートから人間へ」との政治理念は多くの国民から共感を得た。あれだけ大規模な工事を途中で止めるのは決して治水工事や環境への配慮、国家予算の組み直しだけではなく、周辺住民の生活をどうするかという極めて重要な問題も絡んでおり、大きな政治的決断とならざるをえない。それにしても、人口の少子高齢化やグローバリゼーションの進行もあって、戦後一貫して追い求めてきた公共工事依存型の経済成長戦略はもう大転換の時期に来ている。なかなか難しい課題だが、一歩を踏み出さなければならない。
ところで、民主党分裂の直接のきっかけは消費税増税をめぐる党内の意見対立であって、「国民の生活が第一」という政治理念の是非をめぐるものではない。つまり、小沢グループの論理はこうだ。消費税増税は国民の生活を圧迫することになるため、「国民の生活が第一」という民主党の政治理念に反する。
しかし、果たして消費税増税は国民の生活を第一に考えることと相反すると言い切れるか。
もしそうだとすれば、日本よりはるかに高い消費税率を実施している国々は、国民の生活を苦しめているような圧政国家だといわざるをえない。事実はそうではない。北欧を代表とする先進諸国はむしろ国民の生活を優先的に考えるために、あえて高い率の消費税を採っているというべきである。スウェーデンなどはその好例で、高い税金で実現している高福祉に対して日本でも多くの支持者がいる。小沢グループの考えは明らかではないが、少なくともかつて「国民の生活が第一」を掲げ出した時の民主党は北欧型福祉にかなり親近感を抱いていたに違いない。実際、民主党議員の多くは社会福祉分野の出身者で、要職を務めている議員の中にも社会福祉の有識者が少なからずいる。
消費税増税は国民にとって新たな負担となるから、マスコミなどが試算しているように、今の生活に一定のマイナス影響を及ぼすことは確かである。一方、今後の生活、次代の生活といった視点に立って考えると、必ずしもマイナスではない。
消費税増税反対という大義名分で民主党と袂を分かった小沢グループは、社会保障の財源をどうするかについていまだに明確な政策を示していない。今後は消費税増税反対だけで国政に関わっていくか、明確な道筋は見えてこない。少なくとも、社会保障の財源確保にそれなりの政策を示さない限り、「国民の生活が第一」といくら主張しても、一つの政党として信頼される理由がない。
日本はいま厳しい財政難に直面し、支出の多くは赤字国債発行など借金で賄われている。
野田政権は消費税増税法案の最終成立を目指していると同時に、赤字国債発行法案の成立という重い課題をも背負っている。ねじれ国会の中で、野党からの協力なしでは、これら重要法案の成立は極めて困難。今月6日、安住淳財務大臣は閣議後会見で、赤字国債発行法案の成立が見通せない状況が続いていることに関し「10月末までで財源が枯渇する」と説明した。
それによれば、2012年度、一般会計予算の歳入から赤字国債以外の税収などで財源を確保できる額は46.1兆円。それ以外に、38.3兆円を赤字国債に依存している。9月末までの支出見込み額(建設国債の対象経費を除く)は39.3兆円。例年、10月単月の支出額は5兆円前後に上るため、財源余力がほとんどなくなる。
この厳しい状況を踏まえて、安住財務相は9月8日までの会期内に法案が成立しないと、生活保護などにも影響が出かねないと言及し、与野党の協力を呼びかけた。
筆者はこのことを非常に深刻に捉えているが、マスコミはただ一つのニュースとして報道するのみで、コメントや論評をほとんど行っていない。赤字国債発行は消費税増税と異なるスタンスで取り扱われていることは明らかである。
赤字国債も国民の負担であることは間違いない。しかし、なぜ小沢さんらは消費税増税のように反対しないのか。なぜマスコミは例年通りに沈黙を保つのか。また、負担する側の国民はなぜ反対の声を上げないのか。最大の理由は、消費税は今のすぐ感じる痛み、赤字国債は将来の目に見えない痛みということである。
今の財政状況を家計に例えればこうだ。年収は300万円しかないのに、支出は600万円も使っている。その不足分は次から次へと繰り返される借金で賄われている。家計なら、住宅購入などで大きな額のローンを組む場合、収入を基本とする返済能力の審査は避けて通れない。また、毎月の返済が確実に行われることによって、ローンの額は縮小していくのが普通。しかし、国家財政の借金はまったく違う様相を呈している。第一に、返済能力の審査は一切されず、収入の不足分を補うような額が決められていくだけ。第二に、借金の規模は縮小していくどころか、むしろどんどん膨れ上がる。
その意味で、日本の財政支出は今も大盤振る舞いの状態が続いているといえる。現在国民が享受している社会保障(あるいは社会サービス)は実際の負担をはるかに超えた水準のものである。その超えた分は、実はこれからの若い世代、さらに将来生まれてくる孫の世代、曾孫の世代が払わなければならない税金などである。これを思うと、心穏やかに過ごすことができなくなるのではないだろうか。
このような状態に陥っている国家財政を深刻に憂い、打開策に真剣に取り組まなければならないのは政府や政治家であるはず。これに対して見て見ぬふりをする政治家はほんとうに国民の生活を第一に考えているといえるのか、はなはだ疑問である。
次の総選挙はいつあるか分からないが、消費税増税の是非は大きな争点になるに違いない。
ただし、反対論はただ単に反対するのではなくて、消費税増税の有効な代替策を国民や有権者に提示しなければならない。また、社会保障のあり方、とりわけ社会保障の規模や水準、その財源確保の方法なども国民の生活が直接に関わる重要課題として争点化することが望ましい。
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