「現在の日中関係でも日本人と付き合っていい?」児童の質問から見る日中民間交流の誤解―中国メディア
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2013年2月26日 8時4分
2013年2月25日、春節(旧正月、今年は2月10日)前に無錫のある児童が私に電話をかけてきて、現在の日中関係の下でも、日本留学時に知り合った日本の友人と付き合い続けていいのか、日本の先生を訪ねに行ってもいいのかと質問した。この質問に私は感動とともに驚きを覚えた。(文:宋栄華・中国パブリックディプロマシー協会秘書長、外交学院客員教授。広州日報掲載)
この質問に答えるには、まず認識上の問題をいくつかはっきりさせるべきだと思う。両国の政治関係が良くない時でも、民間交流は続けるべきなのかどうか。友好や協力を口にすることは漢奸、売国奴になるのかどうか。
■「対話=弱腰」ではない
尖閣問題における日本の誤った言動は中国の根本的利益を侵害し、中国人民を怒らせた。われわれが一致団結して断固たる闘争をすべきなのは当然で、中国政府はすでに一連の力強い報復措置を講じた。だが、尖閣問題は重大で厄介な問題ではあるが、日中関係のすべてではなく、局部的、段階的な問題だ。したがって、この問題のために日中関係の土台を完全に叩き壊すわけにはいかない。われわれは闘争すると同時に、より積極的に、より踏み込んで日本各界との対話を繰り広げなければならない。もちろん、対話は原則の放棄ではない。われわれは対話の中でより念入りにわれわれの立場と決意を説明することができる。対話はわれわれにとって他の方面での準備の放棄でもなく、平和的解決を勝ち取りに行く機会である。
■「交流=こびへつらう」ではない
日中両国は一衣帯水であり、数千年の交流の歴史がある。最も暗黒なあの時代においてさえ、両国の民間友好交流は中断しなかった。だが日本が中国を侵略したあの暗黒の歴史のために「漢奸、売国奴」といった中華民族に軽蔑される呼称が生まれ、わが同胞の間に日本人民との交流に対する特殊な敏感性が生まれ、「漢奸」のレッテルを貼られることの懸念が生まれた。両国関係が良くない時には、この懸念は特に強まる。
実際のところ、交流の度合いをしっかりと押さえさえすれば、懸念するにはおよばない。この度合いとは、民族の気概、人としての気概を保つことだ。交流においては対等と相互尊重を堅持する。こびへつらって平身低頭してはならないし、国を売って個人的利益を求めてはなおならない。たとえ最も親密な個人的交際であっても中国の国益を損なう言動があった場合は、厳粛に指摘して、必要な闘争を行うべきだ。交流は原則を失してはならず、譲れぬ一線を越えてはならない。
■「協力=売国」ではない
経済グローバル化時代において協力なき場所はなく、協力なきものはないと言える。大はボーイングやエアバスの航空機から、小は日常生活の必需品まで、すべての国のすべての民族が長い協力のチェーンにつながれている。日中間の2国間貿易額はすでに3000億ドルを超えており、経済レベルの協力の幅と深さがわかる。すでに互いに包含し合い、一方が繁栄すれば共に繁栄し、一方が損害を被れば共に損害を被るレベルにまで達しているのだ。
協力においては対等、互恵、ウィンウィンを重視する。われわれの発展と進歩に有利でありさえすれば、相手が高い鼻に碧眼であろうと、黄色い肌に黒髪であろうと、われわれは歓迎すべきだ。あらゆる進んだものを学び、参考にすべきだ。これこそが偉大な復興を実現しつつある民族が持つべき気概であり度量である。
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