2013年1月30日水曜日

■【仏国ブログ】フランスではあり得ない、日本における警備員の多さ


【仏国ブログ】フランスではあり得ない、日本における警備員の多さ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0130&f=national_0130_012.shtml
2013/01/30(水) 10:51

 フランス人男性が、自身のブログ「Angayran de la villardiere」で日本の会社における雇用についてつづっている。

  筆者は日本に滞在中、フランスではあり得ないような雇用の存在に気付いたという。それは無用とまでは言わなくとも、ある組織の競争力や収益力の観点からも、フランス国内では絶対に目にしないたぐいの仕事であったという。

 例えば、歩道の修復工事のため、通行人たちは何百メートルかの距離を別ルートを歩く必要があったが、ほぼ10メートル間隔でヘルメットと反射ベストを着用した警備員が蛍光スティックを片手に立って誘導していた。この光景に驚きを隠せなかった筆者は、このような仕事は日本特有で、それを象徴するような仕事であり、サービスのニーズに合わせたというよりも、雇用のニーズに合わせた仕事だと表現した。
  
 また、ほかの例では、スーパーの駐車場を監視する仕事でも、フランスであれば1人で十分なところを、日本では6台ほどの駐車スペースであっても、大抵2人いたと指摘する。

 そこで筆者は、なぜ日本企業は、実質的な節約をできるところでもこのような人件費を削らないのか、ということについて考えた。そのひとつに、グループの結束が第一とされる日本においては、会社の大きさと従業員の多さが何よりも大事だからではないかという仮定が浮かんだ。

 これを裏付ける理由として、筆者はある会社を経営している日本人男性を紹介された時、従業員数が何人かということをいちばん強調しているような印象を受けたことがあった。

 筆者は、日本の会社は第二の家族のようなものであり、この感覚は、日本社会のもつ集団主義的なものと関連しているように思えると述べた。また、日本においては個人よりも集団、家族、会社、国などのグループが優先されるとも説明した。

 だから日本の会社の社長は、自身の収入の向上や豪華な所有物や財産よりも、地域の雇用に貢献することを大事にしているとの見方を示した。そのため、グループを持たずにひとりで会社を運営する社長が、例え何億円か稼いで地域社会や経済に貢献するよりも、控えめに稼ぎ、会社の長として人を雇い、何家族かの生活を維持してはじめて、社会から尊敬されるのだと述べた。

 フランス社会では、欧米の国らしく合理的で一切の無駄を省く雇用が根付いているため、日本の状況を見ると違和感を感じるようだ。またそれに対する筆者の見方から、日本社会に対するイメージが垣間見える。



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