2011年12月27日火曜日
■【コラム】中国人の北朝鮮観 国境線で食する北朝鮮料理と北朝鮮の人の中国語
【コラム】中国人の北朝鮮観 国境線で食する北朝鮮料理と北朝鮮の人の中国語
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1226&f=column_1226_012.shtml
2011/12/26(月) 17:48
2.北朝鮮料理店
(1)北京に住む北朝鮮の人(日本でいう喜び組?)
船から下りるとちょうどお昼過ぎでした。北朝鮮との国境線の街では、北朝鮮から来た人たちが働く北朝鮮料理の店があります。日本人には馴染みのない北朝鮮料理店ですが、中国には国境線を中心とした箇所、また北京や上海などにも存在します。北京にある北朝鮮料理屋は北朝鮮政府が開いた店であり、北朝鮮系のホテルの中にあります。このホテルは、そもそも北京における日本人街である麦子店という場所にありました。北朝鮮料理は韓国料理を田舎料理にしたイメージです。全く辛くはありません。辛いもの好きが多い中国にあって異色の存在です。中国料理である湖南料理や四川料理とは対極にあります。
そこで出されているビールは中国で生産されているアサヒビールの生、演奏に使われている楽器は日本の河合製でした。日本の事は忌み嫌っているだろう、と思っていた私には意外なものでした。ある時は、河合製楽器で演奏しながら、北朝鮮政府から指定されたと思われる「悪の帝国アメリカ~、アメリカを殲滅せよ~」という内容の歌を歌っていました。北朝鮮にて作られたものかとは思いましたが、ときに彼女たちは中国語で歌ううえ、朝鮮語で歌っているときにも隣の画面には中国語字幕が出ていたため、私にもその歌の内容が把握できたのでした。
あるときは韓国人客が一緒に舞台に立ち踊っており、あるときは中国人の子供の誕生会を開いている中国家族のために、彼女たちは「HAPPY BIRTHDAY」を中国語で歌ってあげていました。働く女性たちの気さくに挨拶してくれる人たちで、どこか韓国の田舎から出てきたのだろうか、と思わせるものでした。政治の悪さが大きいのかも知れません。彼女たちは監視下にあるようで、団体生活をしているとのことでした。
(2)丹東の北朝鮮料理店
このとき雇っていた中国人の運転手(漢族)とともに丹東でも有名な北朝鮮の店に向かいました。外から店の中を見ると、ちょうど北朝鮮の女性たちが演奏をしながら歌を歌っているところでした。ドアを開け閉めする係りの北朝鮮の女性たちもきれいで、北朝鮮料理屋の中では高級店のイメージがありました。そこで、勇躍、ドアを開けてもらい中に入っていこうとしたところ、ある北朝鮮の要人が食事中とのことで、我々は中には入れてはもらえませんでした。
仕方なく私は、そこよりもだいぶ裏寂れた別の北朝鮮料理店(さきほどの店とは異なり大衆店の趣)に入りました。この北朝鮮料理店は北京にある北朝鮮政府が開いた店(詳細は後述)とは異なり、働く女性たちも場末のスナックのような流れ着いた感がありました。店は2階建て。北朝鮮料理のイメージは韓国料理を辛くなくして、田舎料理にしたようなものです。犬料理もあり、とにかく何でも挑戦だと私も食べてみたのですが、北朝鮮料理店の犬料理はそれほど良い物とは感じられませんでした。北朝鮮の酒は質が悪いのか、あまり飲むと悪酔いする酒です。北京の北朝鮮料理店で飲酒した友人の一人は、「人生最大、血を吐きそうになった」と言っていたほどです。ブルーベリー酒のような物、きゅうりを入れて飲む北朝鮮の焼酎の他、何だかよく分からない酒があります。
あちらこちらで地ビールを飲むことが好きな私は、「北朝鮮製の地ビールはないの?」と聞いたところ、北朝鮮なまりの中国語で「そういうのはないよ」と言われました。彼女たちは、北朝鮮出身の朝鮮族の女性に中国語を習っているとのことでした。
各地の中国人の中国語として、特徴的なのは、南方の中国人による中国語です。彼ら南方人は、普通話(中国語の標準語)では発音に「H」を入れるべきところに「H」を入れません。たとえば、美味しいという意味の中国語、「好吃HAOCHI(ハオチー)」は「HAOCI」と発言するため、「ハオツー」と聞こえます。これとは逆に、朝鮮族の発音の特徴は、普通話では「H」を入れないところに「H」を入れるという特徴を有していました。
たとえば、中国語でイチゴを意味する「草莓CAOMEI(ツァオメイ)」は「CHAOMEI」と発言するため、「チャオメイ」と聞こえます。鎖国国家である北朝鮮にとっての最友好国である中国の首都・北京所在の北朝鮮政府直轄の店に派遣されているほどの人であれば、通常の北朝鮮人とは異なるエリートの娘だと思われます。しかしながら、そもそもなまっている東北部の朝鮮族に習っているためか、一様に皆、中国語が上手ではありませんでした。北朝鮮のエリート層の中国語を聞いて、自分の中国語に自信を持ったのでした。
3.鴨緑江を北へ
昼食を終えた私は、鴨緑江沿いの道を北上。右手にはずっと北朝鮮が間近に見えていました。所々には北朝鮮の監視所らしき建物(掘っ立て小屋)が。最初に運転手に向かうよう要求したのは、河口断橋でしたが、運転手はその存在すら知りませんでした。そこで、「地球の歩き方」をも見せながら説明するも、「地球の歩き方」に「丹東から30KM」と書いてあるこの橋に行くことを運転手は極端に嫌いました。周りにいた中国人たちに聞いても、ある人は「知らない」。ある人は「ものすごく遠い」。意地でも行こうかとも考えましたが、これからも北朝鮮国境線を走るのだからまあ良いかと考えた私は、行き先を絞ったのです。
向かった先は、寛甸満族自治県にある明代の万里の長城の東端・虎山長城です。虎山長城は同じ長城でも、北京の八達嶺(日本人が観光に行く長城と言えば、通常、八達嶺のこと)や慕田峪(橇で滑り降りることができる)、敦煌の玉門間とは違い有名ではない上、一番下から徒歩で上り下りしても1時間もかからない程度の規模です。しかしながら、この虎山長城の特色は、ほとんど観光客がいない中、頂上まで上ると、真下に北朝鮮を見下ろせる、というものです。虎山長城から北朝鮮の田園風景を眺め下ろしながら、得体の知れない様々な感情が押し寄せてくる経験をしたのでした。
さあ、その日の日程は終了です。大連へ帰る路は、北朝鮮首脳が通るときには全面交通止めにされる大連・丹東間の高速道路でした。何もない路を走り、ようやく大連市内に入った私を待ち構えていたのは、ガソリンスタンド。なぜ、ガソリンスタンド?私は丹東を出発するとき、電話で目当ての海鮮料理店(万宝海鮮舫とは別)の夕食を予約していました。予約した時間が過ぎ行く中、客である私を先に送ることなく、この漢族の運転手は悠々と給油をしたのでした。日本でなら、客が観光している間等に給油して迷惑をかけないようにすると思われますが、中国ではあくまでもマイペースなのでした。(執筆者:奥北秀嗣 提供:中国ビジネスヘッドライン)
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