2011年12月15日木曜日
■「忠臣蔵」に思い巡らせ 箕面の旧邸や墓など散策 大阪
「忠臣蔵」に思い巡らせ 箕面の旧邸や墓など散策 大阪
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111215/osk11121502280002-n1.htm
2011.12.15 02:27
「もう一人の義士」萱野三平
元禄15(1702)年の「忠臣蔵」討ち入りの日の14日、箕面市で、「もう一人の義士」といわれる萱野(かやの)三平の旧邸や墓を訪ねるハイキングが行われ、約60人の参加者らが忠臣蔵の世界に浸った。
箕面観光ボランティアガイド「MVクラブ」が主催。萱野三平は、元禄14年3月14日、江戸城内で主君、浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に斬りかかった殿中刃傷(にんじょう)事件の第一報を、国元の赤穂城に早かごで知らせた。
あだ討ちを決心した家老、大石内蔵助(くらのすけ)の義盟にいったん加わったが、郷里(今の箕面市萱野)の父に反対され、忠・孝の板ばさみで進退きわまり、元禄15年1月14日、自宅で切腹して果てた。赤穂義士47人(46人説もある)の中には入らないが、忠義の武士として忠臣蔵ファンにはなじみの人物だ。
ハイキングではまず、切腹の前日に別れを告げに行った姉、こきんの墓(同市新稲)へ。三平はこきんの嫁ぎ先の庄屋、吉田家を訪ね、「姉さま、とんと、おさらばでございます」と言って去ったという。
一行はこのあと、三平が自刃した同市萱野の旧邸(長屋門)や墓を訪問。墓前で手を合わせ、観光ボランティアの説明に耳を傾けた。
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