2012年1月2日月曜日

■「韓流は1500年前の日本ですでに始まっていたのです」


「韓流は1500年前の日本ですでに始まっていたのです」
日本の韓民族史探訪第28回
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/01/01/2012010100497.html
2012/01/01 11:40 朝鮮日報

 昨年12月20日午前、日本の南に位置する島、九州の大分県宇佐神宮。天皇を主神として祭った神前には見慣れた形の梵鐘が保存されていた。

 鐘の音響を調整する音管の「甬筒」、御釈迦様が鐘のある場所に舞い降りてくる姿を形象化した「飛天像」、前面に飛び出した乳頭まで…。青銅で作られた典型的な新羅時代の梵鐘だった。高麗末に、倭寇が略奪したものという見解が学界では主流だ。壇国大学のチョン・ヨンホ教授は「当時、精巧な鐘の鋳造技術がなかった日本が、われわれから略奪し、神のように保存してきた」と説明した。

 朝鮮日報が運営する代表的な公益事業「日本の中の韓民族史探訪」が、今月18日から23日まで5泊6日の日程で行われた。今回で28回目を迎えたこのツアーには、全国の教師368人、一般人131人を含む571人が参加した。なお、新韓銀行、POSCO、CJ第一財団が後援した。

 ツアーの参加者たちは、2万3000トン級のクルーズ船とバスを乗り継いで釜山から福岡県博多港‐瀬戸内海‐大阪‐奈良‐京都などを回り、先祖の足跡を辿った。江原大学のソン・スンチョル教授は、「韓日両国は友情と裏切りの歴史を繰り返してきた。(朝鮮)通信使の『信頼』を基に、両国関係を築いていかなければならない」と話した。

 福岡県太宰府には、660年に新羅・唐の連合軍によって滅亡した百済から流れ着いた民が新羅の攻撃に備えて建てた百済式の土城と山城が残っていた。公州大学のソ・ジョンソク教授は「知識人で構成された百済の流民約4000人が、日本の古代国家の根幹を形成した」と説明した。



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