2012年3月23日金曜日

■【上海ブログ】「まどマギ」主人公の第一声で感じた日本語の深さ



【上海ブログ】「まどマギ」主人公の第一声で感じた日本語の深さ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0315&f=national_0315_064.shtml
2012/03/15(木) 12:12

 アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」を見た。中国の動画サイトでだ。無許可動画だと思います、申し訳ございません。

 日本で大変な話題になっており、人気のあるアニメだったので気にはなっていたが、日本では見る時間も機会もなく、上海に来て、やはり日本のポップカルチャー浸透度合いの把握のため、視聴するに至った訳だ。あくまでも研究。

 百度では、動画検索のコーナーに堂々と「魔法少女まどか☆マギカ」コーナーを設置している(私が見た時現在、画像)。「ONE PIECE」や「NARUTO-ナルト-」などビッグタイトルは避けているのだろうか、ない。百度の通常の動画検索は、機械収集なのか、話数をごまかしてアップロードされている動画(中国式SEOか!)まで収集し、本当に目的の話数の動画にたどり着くのは結構大変。しかし、この特設コーナーは、「まどマギ」1―12話、きっちりと正確なリンクが張られており、ユーザーにしたら便利。百度は上場企業だから、上場企業としてはやっちゃあいけないのだろうが。余談。

 正直、タイトルがすんなりと思い出せず、最初は「まどか」で日本語でぐぐった。それらしきものを見つけ、日本語の正式名称で今度は百度一下。日本語の正式名称も記述されている、中国版中国語版のウィキペディアというべき、百度百科の該当項目が第1位ヒット。中国語のタイトルが、「魔法少女小圓」であることが判明した。「魔法少女まどかちゃん」というわけだ。登場人物の字幕も「小圓」である。

 その第1話、美少女の戦闘シーンをいきなり見せられた主人公らしい女の子が、四足歩行動物(後に、キュゥべえという名前だと分かる)に、その美少女のように戦う魔法少女への契約を迫られることになる。がばって起きて、それが夢だったことが分かった主人公の女の子が発した第一声が、「夢オチ……」。

 不勉強で、「夢オチ」という言葉を知らなかったから、その「ゆ・め・お・ち」というセリフを聞いた時少し考えてしまった。が、すぐに「夢から覚めるというオチ」の略だと気がついた。ぐぐってみると、ウィキペディアの項目としても立てられている。日本語として、少なくともインターネット上ではすでに市民権を得ている言葉らしい。

 何とも可愛らしい言葉であり、日本的だ。日本のポップカルチャー、萌文化をも象徴しているだろうか。

 この第一声が、「魔法少女まどか☆マギカ」のストーリーの性質や、主人公の性格・志向を暗示するもの、といったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも初めて「まどマギ」を見た私自身にとってはとても新鮮さを感じたし、期待に胸が膨らんだ。

 しかしこの重要な言葉を、中国語字幕は、「夢Ah」(Ahは口偏に阿)で終わらせてしまっていた。「夢だったのか」程度の意味となる。とても、「夢オチ……」という、それ自体が持っている語感が伝わってくるものとは言えない。

 第2話だったか、同じようなシチュエーションがあり、その時は主人公の女の子は、「夢か…」とつぶやく。アニメ上、二度目なので、繰り返し「夢オチ」を使うことはないし、ここはこれで良いと思うのだが、中国語字幕も第1話と同じ「夢Ah」を使用していた。

 つまり、中国語字幕上、この2回のシーンはいずれも同じ語感を伴った、同じ言葉として表現されているわけだ。個人的に、「夢オチ……」が印象深かったためか、この字幕についてはどうなのだろう、と首をかしげた。

 では、一回目の「夢オチ……」をどのような中国語で表現すればよかったのか、と問われると、出てこない。百度一下すると、あまりメジャーではないようだが実は中国語訳として「夢之結局」という言葉があるらしい。しかし、これは完全直訳で、味も素っ気もなく、とても「夢オチ……」の正確なニュアンスが伝わるとは思われない。例えば、造語だが、「夢萌……」などはどうだろう。ニュアンスはある程度近づくが、意味が全く不明になってしまう。

 日本語は難しい。いくら通訳・翻訳のベテランでも、この「夢オチ……」について、言葉・語感・その時のニュアンスは表現できないのではないだろうか。何か候補があれば是非ご教示いただきたい。

 しかし日本のポップカルチャーが、難解だが、表現力が極めて豊富な日本語に支えられているのだ、と改めて思い知らされた。情報技術や字幕スキルがいかに発達しても、こうした文化を中国や海外の方に本当に理解してもらうのは極めて難しいとも感じた。

 一方で、中国人から見ると、日本語のセリフよりも字幕の翻訳の方がしっくりくる、という意見もある。字幕は直球勝負のような翻訳が多い。それが多くの中国人に馴染むのかもしれない。なかなか難しい。

 やはり、日本アニメの中国語字幕は楽しい。大変な勉強になるし、一味違った日中言語比較学を確立できそうだ。時間があれば、もっと突き詰めて考えてみたいと思う。




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