2013年1月21日月曜日

■超絶衰退する秋葉原――都市学者・クリスタラーの「中心地理論」が予言する秋葉原の儚い未来


超絶衰退する秋葉原――都市学者・クリスタラーの「中心地理論」が予言する秋葉原の儚い未来
http://blogos.com/article/54353/
2013年01月20日 10:36baby_theory

「失われた20年」と言われてから既に何年も経っているのだけど、この20年間、都市環境は決して静止していたわけではない。それどころか、この20年間で都市環境は劇的に変化している。そのベンチマークとなる場所は日本中の至るところにあるのだけど、今回の記事では「オタクの聖地」とも呼ばれている東京都台東区の「秋葉原」にスポットを当ててみる。

でも、その前に、ありきたりの「秋葉原論」ではつまらないのでw、都市に関する理論を一つ紹介しておこう。ドイツの都市学者のヴァルター・クリスタラーが作った「中心地理論」である。これは大学で都市工学を専攻していれば必ず教わる、比較的オーソドックスな理論である。簡単に言えば、「レア(希少)なものほど都心に集まる」という現象を示した理論である。

最近、例えば、明治大学の駿河台キャンパスの「リバティタワー」(1998年竣工)に象徴されるような高層ビル型の“都心”に立つ大学のキャンパスが増えているのだけど、それは日本が少子化社会で、学生の数が減少しているからである。つまり、若者がレア(希少)な存在だからである。その反対に、学生の数がとても多かった90年代以前には、大学のキャンパスは都心から離れた“郊外”に建設・移転されていたことを思い返せば、これと鮮やかなコントラスト(対比)を成していることが分かるだろう。

このクリスタラーの「中心地理論」を今回の記事に合わせて商業建築(店舗)から説明すると、この理論は、レア(希少)な商品を販売する店ほど都心に集まる、ということを示している。レアな商品とは購入頻度の少ない商品のことである。その代表格は高価な貴金属(ジュエリー)である。だから、例えば、全国のどの都市でも、その都市の都心(ど真ん中)はどこなのかを知りたいならば、貴金属店がたくさんある場所を探してみればいい。東京なら銀座である。また、その反対に、レアではなくて購入頻度の多い商品、例えば、食料品などは、家の近所のスーパーで買うことができる。よって、ここにも前述と同じコントラスト(対比)を見い出すことができるだろう。いずれにせよ、これがクリスタラーの「中心地理論」なのである。


では、これで理論のインストール(準備体操)は完了したと思うのでw、早速、「秋葉原」の戦後から書き始めます。

えーと。戦後、秋葉原は日本有数の「電気街」として栄えた。そのきっかけは秋葉原の近くに理科系(電気系)の大学があったからなのだけど、それはさておき、当時は家電製品は多くの人々にはまだ高価な商品だった。つまり、家電製品は購入頻度の少ないレア(希少)な商品だったのである。でも、それから高度経済成長期に入って、家電製品が人々の手に届きやすくなるに連れて、つまり、家電製品が購入頻度の多い商品になるに連れて、秋葉原に一体、何が起きただろうか。秋葉原は「電気街」としての地位を失いはじめたのである。その理由は、前述のクリスタラーの「中心地理論」で説明できることは再び言及するまでもないだろう。人々は家電製品を秋葉原の「電気街」ではなくて、家の近所のチェーン店(ヤマダ電機など)で購入するようになったのである。

それでも、秋葉原は衰退しなかった。理由までは分からないけど、それはさておき、秋葉原は「電気街」から「オタクの聖地」へと大変貌を遂げた。でも、忘れてはならないのは、クリスタラーの「中心地理論」が明らかにしているように、秋葉原が「オタクの聖地」となれたのは、「オタク」と呼ばれる人々がレア(希少)な存在だったからである。オタク関連の商品の購入頻度は、都市圏全体で見れば、とても少なかったからである。ここに“一般的な感覚”とのギャップを感じる方がいるかも知れないのだけど、言い換えると、これこそが仰々しくも「理論」と呼ばれるものの特性の一つなのである。理論とは仮説でありながら、一方では、現実よりも現実的な構造を抉り出すときがあるのである(キリッ)。

さて、ここからが本題である。

現在、「オタク」と呼ばれる人々の人口は増加の一途をたどっている。「オタク」と呼ばれる人々は、もはやレア(希少)な存在ではない。そうすると、「オタクの聖地」の秋葉原は今後どうなるだろうか。クリスタラーの「中心地理論」は一体、どんな秋葉原の未来を「予言」しているだろうか?

その答えは、今回の記事のタイトルに書いた通りである。人々はオタク関連の商品を「オタクの聖地」の秋葉原ではなくて、家の近所のチェーン店(アニメイトなど)で購入するようになるのである。以上です。



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