2012年1月19日木曜日
■ますます薄れる「春節」の伝統、中国人もクリスマス好きに?
ますます薄れる「春節」の伝統、中国人もクリスマス好きに?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0116&f=national_0116_125.shtml
2012/01/16(月) 13:02
中国人にとって一年でもっとも盛大でにぎやかな「春節」が訪れようとしている。全世界の中国人にとって最も伝統的なこの祝日の到来に際し、私は楽しいどころか、幾分がっくりした気分になる。その原因は他でもなく、今の春節はますます伝統的な春節からかけ離れていっているからである。
伝統的な春節には多くの行事が含まれている。中国は広く、各地の風俗習慣も違うとはいえ、春節の過ごし方においてはおおかた同じで、人々の脳裏には大体同じイメージがある。例えば、「対聯」を貼る、窓花(窓に貼る切り紙)を切る、爆竹を鳴らす、ギョーザを食べる、新しい服を着る、お年玉を与える(もらう)、かまどの神様を見送る、年始周りをするなどなど、どれも欠かせないものである。
中でも「拝年(新年のあいさつ)」の習慣はとりわけ重要である。親戚間や友人間、同僚間はもちろん、見知らぬ人に会った時でも春節の時は祝福の言葉を述べ、互いに「新年好(明けましておめでとうございます)」と新年のあいさつを言う。この伝統的な雰囲気が、春節期間中の中国人にこの上ない幸せと安らぎを与えるわけである。
この春節こそが中国人の心の奥底にある深い思いであり、また、中国文化と他の民族の文化とを区別する象徴的なものでもある。なぜなら、春節という伝統的な行事にはあまりにも多くの中国的要素が含まれているからである。もしクリスマスが西洋文化のシンボルと言えるのなら、春節は中国文化のシンボルと言える。
しかし、時代の進歩とともに、特に中国経済の飛躍的成長に伴い、中国人が膨大な量の西洋文化を受け入れたため、春節はその伝統的な味わいがますます薄くなってきている。まず、環境保護や事故防止のため、春節の時全国各地で必ず鳴らす爆竹が大いに制限にされている。思う存分に爆竹を鳴らすことはぜいたくなことになっている。
「拝年」にあたっては、このもっとも新年の雰囲気があり、感情のこもった人々の行動が、今では電話や携帯メール、インターネットで済まされるようになっている。携帯メールでの「拝年」を例に挙げると、多忙でせっかちな中国人は、心のこもった携帯メールを書くことすら面倒くさがり、転送などの便利な手段を使い、昔なら相手によってそれぞれ違う祝福の言葉を用いたものが、今ではまったく同じ形式的な言葉になってしまい、受信した相手の気持ちなど毛頭考えていない。したがって、人々の間で無数の内容のほとんど同じ「拝年メール」を受け取り、場合によっては誰から来たものか分からないくらい混乱する。このように、「拝年」は形式的なものになってしまっている。
その他の「対聯貼り」や「窓花貼り」なども、人々の居住環境の変化に伴って、あってもなくてもいいものになっている。少なくとも多くの主婦は窓に「窓花」を貼るのを嫌がる。後からの掃除が大変だからである。また、年始周りも様子が変わってきている。経済的に余裕のある人は相手を呼び出して一緒にレストランで食事をしたりするようだが、多くの人はどこかへ遊びに行ったり、自分の家でテレビを見たりする。したがって、年始回りも形式的であってもなくてもいいものになってしまった。
しかし、不思議に思うのは、春節がますます春節らしくなくなっているのに、中国人はクリスマスをますます西洋人のように過ごすようになってきている。中国人としてクリスマスを選ぶべきか引き続き春節を選ぶべきか、すべての中国人が真面目に考えるべきことである。
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