オピニオン:歴史はまさかの連続、ユーロ自壊の現実味=浜矩子教授
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2012年 06月 5日 12:51 JST 浜矩子・同志社大学大学院教授
[東京 5日 ロイター] ユーロ消滅――。このような予測を少しでも口にすれば、「まさか」と一笑に付されるのが落ちだろう。しかし、その「まさか」が起こりがちなのが、歴史である。
大英帝国の最盛期だった19世紀に、パクス・ブリタニカの終焉や英ポンドを中心とする金本位制の崩壊を予測すれば、きっと多くの人が鼻で笑ったはずだ。米ドル中心の固定為替相場制を軸とするブレトン・ウッズ体制が確立された第2次世界大戦末期に、早々と金ドル交換停止(1971年のニクソン・ショック)を予測したところで、同じだったろう。
今や固定相場制に土地勘を持たない人のほうが圧倒的に多くなったが、世界の為替システムが全面的な変動相場制にシフトしていくなど、半世紀前ならば「まさか」の一言で片づけられていたはずだ。そう考えれば、もともとバラバラだった通貨を無理やりくっつけたユーロが崩壊するシナリオなど、「まさか」度が低いというものだろう(ましてや、ギリシャ離脱の可能性などは)。
これは1999年のユーロ導入前から私が指摘してきたことだが、単一通貨推進のロジックは、お世辞にも、まともとは言えないものだった。推進派は「通貨をひとつにすれば、国々の経済実態は強制的に平準化の方向に誘導される」とした。しかも、「人・モノ・カネの行き来が活性化し、成長効果も中心部から周縁部に波及するので、良い方向に収斂(しゅうれん)する」と。
二度の世界大戦を引き起こした反省から恒久平和のために欧州統合の深化を進めるという大義名分の下、ユーロは生まれたが(実態はドイツ封じ込めだが)、その政治的意気込みを支える経済のロジックはあまりにもお粗末だった。連動して悪くなるシナリオからは目をそむけていたのだ。
ここで改めて説明するまでもないだろうが、ユーロ加盟国の経済実態はもともとバラバラであり、単一通貨を共有できるような条件は成り立っていなかった。だから、一番脆いところにひびが入り、だんだんと核心部に向かって亀裂が広まっていくという、予定通りというか、理屈通りの展開になっている。
この理屈に従えば、経済の力学から言って、最終的なところまで行きつく可能性が高い。その力学に政治が必死に抗っているというのが今の状況だろう。しかし、しょせんは時間稼ぎだ。目先の危機的状況を封じ込めたとしても、またしばらくすると、弱いところから亀裂が走ることになるだろう。それは、またもやギリシャ発かもしれないし、スペイン、あるいはイタリアから始まるかもしれない。そして、炎が上がるごとに、ドイツが火消し役をつとめるように迫られる状況が繰り返されるだろう。
率直に言って、ユーロを持ちこたえさせようとするならば、欧州各国は、表立って認めたくなくとも、パクス・ゲルマニアを受け入れるしかない。ただ、肝心のドイツにその用意はあるのだろうか。嫌われるのも嫌だろうが、他国の財政問題を背負い込んでいくことになれば、経済的負担は計り知れない。いつまで我慢できるのか、どこらへんでドイツの堪忍袋の緒が切れるのかという問題がある。離脱の先陣を切るのがドイツで、それがきっかけとなってユーロが空中分解に追い込まれるといった「まさか」も、もしかしたらあるかもしれない。
あるいは、そこまで行かずとも、現時点で「まさか」の部類に入る大きな設計変更がなされる可能性はあるだろう。たとえば、次の3つのシナリオが考えられる。
第一に、ユーロ圏への複数金利の導入だ。つまり、加盟国をひとつの政策金利で束ねる現在の体制を改めて、各国がそれぞれの経済実態に即した(=身の丈に合った)金利を採用する余地を残す。
第二に、ユーロ圏の複数リーグ化だ。メジャーとマイナー、しかもマイナーも多岐に分かれる米大リーグのごとく、同種類のボール(ユーロ)を使いながらも、価値はリーグごとに異なる。
最後は、ユーロ発足以前に存在した欧州通貨制度(EMS)の復活だ。すなわち加盟国間で通貨変動を一定の範囲内に抑えるよう目指す半固定相場制度への回帰である。ただ、この選択肢は、単一通貨ユーロの崩壊と同義と言えよう。また、1992年の英ポンド危機のように、投機筋に特定の通貨が狙われる可能性がある。
いずれにせよ、現在のユーロの体制のままでは、ひずみは溜まり、一気に放出されれば大きなショックを発生させかねない。その結果、世界がより深刻な「まさか」に見舞われないことを祈るばかりだ。
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