2013年3月12日火曜日

■北朝鮮情勢、20年前と酷似


北朝鮮情勢、20年前と酷似
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/03/11/2013031100543.html?ent_rank_news
2013/03/11 09:35

 北朝鮮が連日「核で火の海」「第2の朝鮮戦争」「核による先制攻撃」などに言及し、緊張の度を高める中、現在の状況が20年前の1993年3月と似ているとの指摘が聞かれる。当時は北朝鮮が核による挑発でつくり出した危機局面で、韓米軍事演習や国際社会による制裁を問題視し、さらに大きな危機をつくり出す構図だった。

■「準戦時」状態だった93年

 米国のクリントン政権、韓国の金泳三(キム・ヨンサム)政権が発足した直後に当たる93年3月、北朝鮮は準戦時状態の宣言(3月8日)、核拡散防止条約(NPT)脱退声明(3月12日)で「瀬戸際戦術」を駆使した。当時は年初から国際原子力機関(IAEA)が未申告施設2カ所に対する視察を求めたことに加え、韓米がチームスピリット演習を再開すると発表(1月26日)したことが口実となった。

 当時は準戦時状態が発表(最高司令官命令)されると、3月9日から平壌上空ではミグ戦闘機が編隊飛行を始めた。道路には機関銃を搭載した軍用車が擬装を施して走った。昼間にはサイレンとともに防空壕(ごう)や地下鉄に住民が避難する訓練が繰り返された。夜には空襲警報のサイレンとともに家庭では黒い毛布で窓を覆う灯火管制の訓練が行われた。

 当時平壌に住んでいた脱北者Kさんは「各家庭に設置されたラジオは演習の進行状況を伝え、まるで本当に戦争が起きたような雰囲気を高めた」と振り返った。北朝鮮全域では非常招集演習も行われた。住民は毎日未明に毛布、コメ、塩、歯磨き道具、薬、マスク、雨具、軍用の飯ごうなど重さ10キロの物資が入ったザックを背に集合場所へと走らなければならなかった。Kさんは「まず持ち出すのは金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)父子の肖像画だった。肖像画を収める箱が別にあるのだが、それだけでもザックと同じぐらいの大きさだった」と話した。

 当時の危機は、北朝鮮による1回目の核実験がきっかけだった。その後は、北朝鮮のノドン・ミサイル発射(93年5月)→「ソウルを火の海に」との脅迫(94年3月)→軍事停戦委員会撤収(同年4月)→IAEA脱退宣言(同年6月)と続き、韓半島(朝鮮半島)は戦争寸前の状態となった。米国が寧辺の核施設に対する精密爆撃も計画し、危機はピークに達したが、カーター元米大統領の訪朝(同年6月)、金日成主席死去(同年7月)、米朝ジュネーブ合意(同年10月)で収拾された。

■言葉による挑発は過去最高レベル

 韓半島をめぐる現在の状況は、20年前と非常に似ている。今回は米国でオバマ政権2期目、韓国で朴槿恵(パク・クンヘ)政権が発足したばかりだ。北朝鮮は韓米によるキーリゾルブ演習と国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁決議に反発している。北朝鮮は今月5日からさまざまな機関や団体を使い▲停戦協定の白紙化▲南北不可侵合意と非核化宣言破棄▲米朝間の軍事通信回線・南北間の板門店の通信回線断絶―などで脅しをかけている。

 準戦時状態は宣言されていないが、北朝鮮の現地のムードはそれに並ぶものだという。北朝鮮軍将校出身のキム・ソンミン自由北韓放送代表は「連絡が取れた北朝鮮住民によると、最近は準戦時状態の前段階に当たる戦闘動員態勢の指示が下されたという。住民は「まだ砲弾が込められていないだけで、状況は93年の準戦時状態とほぼ似ている」と話した。今月6日からは平壌市内で擬装を施した軍用車や列車が目撃されている。北朝鮮当局が住民に戦闘食糧を準備するよう指示したとの情報もある。

 「危機のレベルは93年を超える」(統一部当局者)との指摘もある。今月5日に対南(韓国)工作の総責任者である金英徹(キム・ヨンチョル)偵察総局長が最高司令部報道官談話を読み上げたのが代表的な動きだ。安全保障部門の関係者は「北朝鮮の全住民が見る夜8時のニュースに、露出を避けるべき人物が登場したことは異例中の異例だ」と話した。

 韓国に対する脅迫も「ソウルを火の海に」(94年)→「南朝鮮を廃虚に」(08年)→「南朝鮮を最終破壊」(13年)とますます露骨になっている。「核で火の海」「第2の朝鮮戦争」「核による先制攻撃」といった表現は初めて登場したものではないが、今回ほど公式文書に繰り返し登場し、北朝鮮メディアが繰り返し引用したケースはこれまでなかった。

李竜洙(イ・ヨンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版



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