2012年2月7日火曜日

■ここが違う日本と中国(3)―『人情』の世界


ここが違う日本と中国(3)―『人情』の世界
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0207&f=column_0207_008.shtml
【コラム】 2012/02/07(火) 10:16
  
 同じ漢字文化圏の国同士として日本と中国ではまったく同じ表記の単語が無数にある。同じ表記で同じ意味のものもあれば、同じ表記でまったく異なることを表すものもある。後者について例えば、「娘」(日本語はムスメ、中国語はハハ)、「手紙」(日本語はテガミ、中国語はトイレットペーパー)の類は初級レベルにあたる。しかし、上級レベルになると、かなり難しい単語が出てくる。では、今回のタイトルに記している「人情」って、意味は同じか、それとも違うか。違うならば、どう違うか。

 『広辞苑(第4版)』は「人情」について、「(1)自然に備わる人間の愛情。いつくしみ。なさけ。(2)人心の自然の動き。」と説明する。

 つまり、日本では「人情」は人間のありのままの情感や、他人への思いやりを意味する言葉として使われる。例を挙げると、「人情の厚い人」、「人情家」、「人情の機微」、「人情味」などがある。

 一方、中国では「人情」はどんなことを指すのか。『クラウン中日辞典』(松岡榮志ほか編著、三省堂2001年)は中国語の「人情」を次のように解釈する。

 「(1)人情。(2)私情、情実。(3)よしみ、好意。(4)冠婚葬祭やつきあいの贈り物。(5)世間のつきあい。」

 両者を比較してみると、共通する部分がまったくないわけではないが、基本的に異なる使い方であると理解してよかろう。日本語の「人情」はすべてプラスの意味を持つことに対して、中国語の「人情」は逆にプラスの意味が少なく、中性かマイナスである。(4)と(5)は中性、(2)はマイナス、(3)もほとんどマイナスの意味で使われる。例えば、「做個人情」(よしみを示す)、「仮人情」「空頭人情」(うわべだけの好意)。

 また、日本では「人情」は私情、情実、贈り物、付き合いといった使い方がない。とはいうものの、「人情」も日本人にとって、ルース・ベネディクトの名著『菊と刀』(第9章「人情の世界」)を引き合いに出すまでもないが、精神世界の極めて重要な部分である。

 中国語の「人情」は特に冠婚葬祭や付き合いの贈り物を指す場合が非常に多い。ここでは、この使い方に絞って筆を進めたい。

 前回のコラム(2)で少し触れたように、中国では近年、「人情奴」という言葉が流行っている。その意味は「付き合いの奴隷」「交際費に苦しめられていること」になる。

 親戚、友人、同僚との付き合いはいうまでもなくカネがかかる。中国人は交際費の多寡を非常に気にする。なぜなら、交際費は収入に占める割合が極めて高いからだ。特に近年、「人情奴」という言葉が生まれるほど交際費が高騰している。

 もちろんのことだが、交際費に苦しめられる状況は決して現在初めて生まれたものではない。筆者の幼い頃にもあったと鮮明に覚えている。当時、農村部の一般庶民の付き合いは主に「拝年」(お正月の相互訪問)、「誕生日」、「結婚」、「葬祭」、「満月」(生後1カ月)、「満1歳」(生後1歳)、「新築」などだった。親族、親戚、友人なら、付き合いの度合いやお互いの経済力などを考慮して一定の現金または実物(お菓子、砂糖、肉、鶏、卵など)を贈る。また、受け取る側は贈る側にお返しする。

 当時は現金収入が少なく、親類縁者の付き合いも今よりはるかに濃密な時代だから、贈るための現金や実物を用意するのは実に大変なことだった。筆者の両親はいずれも大家族(父は4人兄弟、母は9人兄弟)のため、親戚の付き合いだけでも一年中続くような状態だった。地元地域の習慣だが、こうした親戚付き合いはほとんど女性(主婦)がやりくりする。父の給料はまったく足りなくて、母はいつも親戚や友人からカネを借りて贈り物などを備えていた。

 少年時代の記憶といえば、筆者にとって2つの記憶がもっとも深い。一つはいつもお腹が空くこと、もう一つは母が借金に苦しめられる姿である。

 いつもお腹が空くという感覚は当時の極貧状態から生まれたもので、今でもなかなか忘れられない。借金してまで付き合いをしなければならないというのは、中国の文化、中国人の慣習に帰するが、残念ながら、今も続いている。前回のコラム(2)で紹介したように都市部のサラリーマンも交際費に苦しめられている。現金収入の少ない農村部はより一層大変な状況に陥っているようだ。

 2010年6月8日付の「人民日報」は署名「宋文」の投稿を掲載した。そのタイトルは、「吹き荒れている『人情の風』は山間地の人々を貧困に陥れた」というものである。ここではその内容を紹介しよう。

 湖北省恩施土家族苗族自治州では農民の1人当たり年間純収入は3000元にも満たない。一方、近年、ここの「人情の風」はますます強く吹き荒れており、住民には耐えがたい負担となっている。

 宣恩県沙溝鎮では2009年の1人当たり年間純収入は2350元だった。4人世帯だったら、年間純収入は9000元余りになる。しかし、1年間の交際費は1世帯当たり5000元を下らない。つまり、1年間の稼ぎの半分以上は「人情」で消えたということである。家にはもし高校や大学に通う子どもがいれば、支出が収入を上回ってしまい、次年度の農業生産に必要な投資(種、肥料、農薬などの購入)はできなくなる。

 同投稿は2009年4月4日付の「恩施晩報」の記事を引用した。それによると、恩施市徐家村の住民李さんは30代で、出稼ぎから帰郷した。帰郷後の最大の悩みは交際費の捻出だという。結婚、葬祭のほか、子どもの生後1カ月、満10歳、大人の33歳、36歳、50歳、55歳、60歳にはすべて誕生日パーティを開く。さらに、引っ越し、新築のスタートと竣工などもお祝いのパーティをやらなければならない。こうしたお祝いにあげる「人情」(お祝金)は少なければ50元、多ければ数百元、千元、数千元にのぼる。李さんはある月にあげたお祝金が3800元にも達した。

 また、こうしたおかしなことは農家の農業生産のインセンティブを大いに挫いており、「人情」の束縛から逃げ出すため遠方まで出稼ぎ労働をする者も少なくないという。

 そして最後に投稿者は農村住民の消費意識やカネの使い方を政府が積極的に指導するよう呼びかける。つまり、農村住民の意識を啓発して、「人情の風」の蔓延を抑制してもらいたいということだ。

 この記事を読んで筆者が思ったのは、「人情の風」はどうしてこんなに吹き荒れるのか、都市だけでなく、農村も例外なくますますひどい状況になる。その要因はやはり中国人の遺伝子に組み込まれている「面子」を重んずるものではないか。これが実にいろいろなところで通底しており、決して政府や行政の指導とか命令とかで解決できる問題ではない。経済力や国力をはるかに超えた建物(官庁)、駅舎、空港などを見ても明らかだ。

 もちろん、すべてを「面子」を重んずるという理由で解釈するつもりはない。ほかには実利的な要因もある。中国社会はなによりコネを大切にする。特に現在はコネがなければ何もできないと言われるほどである。付き合いの多くは実はコネをつくる、コネを維持する、コネを深めるためである。お祝金を出すのは痛いという部分もあるけれど、逆にある人物との関係をつくるために一所懸命に近付こうとする場合も非常に多い。その際、最大の武器、もっとも有効な方法はほかならぬこういった付き合いである。

 そして実権を握る官僚たちは日常生活の中での付き合いを通して、どんどん自分の私腹を肥やすのだ。贈収賄と「人情」との境界線はもともと曖昧で、「人情」のやりとりに過ぎないと自己弁護する腐敗官僚も多々いる。



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