2012年2月4日土曜日

■発酵食品のスパイスは嫌悪感―うじ虫チーズから唾液入りの酒まで


発酵食品のスパイスは嫌悪感―うじ虫チーズから唾液入りの酒まで
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レイチェル・ヘルツ
2012年 1月 31日  16:18 JST  ウォールストリートジャーナル

 ねばねばした納豆は日本の朝食の定番だ。そのまま食べることもできるが、普通は冷蔵庫から出してご飯に載せ、しょうゆやからしをつけて食べる。

 少なくとも欧米人からすると、納豆には独特の食感以外にも問題がある。アンモニアと燃やしたタイヤを混ぜたようなにおいだ。史上最悪ではないかもしれないが、筆者には食べ物という気がしない。初めての挑戦で納豆を食べられる欧米人は見たことがない。日本人には愛されるこの食品に、わたしたちは嫌悪感を覚える。

 過去数年、この嫌悪という感情に関する研究が相次いでいる。嫌悪は6つの基本的な感情の1つだ。喜び、驚き、怒り、悲しみ、恐れと違い、習得しなければ備わらない感情という点に、その複雑さがうかがえる。

   大半の幼児はトイレトレーニングの頃に初めて嫌悪感を学ぶ。その後、親や周りの幼児の反応や規則の中で嫌悪を引き起こす要素と出会うが、最も影響が大きいのは文化だ。そして、ある文化で嫌われるものとそうでないものが如実に表れるのが食品。特に、それぞれの文化で好かれている発酵食品である。

 たとえばチーズ。欧米人にとっては好物だったりぜいたく品だったりする。良質のタレッジョ、ゴルゴンゾーラ、ブリーには、「甘い」とか「しっとり」といった言葉が合うだろう。ただ、チーズもそれなりに香りの問題を抱えており、場合によっては嘔吐(おうと)物、足のにおい、生ゴミと間違われる恐れがある。米国のスライスチーズから(英国の)スティルトンまで、チーズ全般を牛の排せつ物のごとく嫌うアジア人は多い。

 チーズは有蹄動物の体液が腐ったものと言い換えられることを考えれば、当然かもしれない。しかし、この場合、少なくともわたしたち(の大半)にとっての美味をもたらすのは、コントロールされた腐敗だ。カギは、期待通りの風味を持ちながら病気を引き起こさない食品になるよう、腐敗を調節することだ(新鮮なうちは有毒なため腐敗が必要なケースもある)。

 世界をざっと見回すと、韓国のキムチ、ノルウェーのグラブラックス(生のサーモンを発酵させた食品)、エチオピアのインジェラ(スポンジ状の発酵パン)、スペインのチョリソ(発酵・塩漬けした豚のソーセージ)といった発酵食品がある。また、世界のいろいろなところでさまざまな形の乳製品が愛されている。

 最強の発酵食品といえば、酷寒の海で捕れたサメで作るアイスランドのごちそう、ハカールだろう。サメの頭と内臓を取り除き、浅い穴に埋めて砂利をかけ、2~5カ月(季節によって変える)かけて腐敗させる。取り出して切った後、さらに数カ月かけて干す。

 尿のような魚のような刺激臭をかぐと、たいていの「新人」は吐き気を催す。「アンソニー世界を喰らう」で有名なシェフ、アンソニー・ボーテイン氏に言わせると、ハカールは同氏がこれまで食べた中で「最悪の、最も気持ち悪く、恐ろしくまずいもの」だ。

 珍味の世界大会でハカールを食べた人は、エクアドルのチーチャで口直ししようとするかもしれない。この食前酒は、ゆでたトウモロコシ(またはユッカの根)を口の中でかんで唾液と混ぜて作る。
 イタリア・サルデーニャ島で作られるカース・マルツゥは、チーズは好きだが昆虫は死ぬほど嫌いな筆者にとって難題だ。「うじ虫チーズ」を意味する別名の通り、このチーズには生きたうじが入っている。

 作り方はまず、羊乳のチーズ、ペコリーノ・サルドを用意し、大半の人が虫がたかりそうだと思う段階まで発酵させる(実際にそうなる)。そこでチーズバエ(Piophila casei)に卵を産みつけさせ、うじを発生させる。その消化器官から出される酸でチーズの脂肪分が分解されるため、柔らかいチーズが仕上がる。食べられる状態になるまでに発生するうじは通常数千匹。

 地元では、うじが死んだチーズを食べるのは危険とされているため、チーズは7ミリほどの乳白色のうじがうごめいている状態で出される。食べる前によける人もいれば、そのまま食べる人もいる。そのまま食べる場合、手でチーズを覆ったほうが良さそうだ。うじは刺激を与えると最大15センチほど飛ぶことがある。

 こうした描写で気分が悪くなるのは当然だ。腐って有毒になった食品を避ける、というのが嫌悪という感情の最大の存在意義なのだから。

 では、発酵した唾液、腐敗したサメ、うじ入りチーズはなぜ一部の文化でこれほど愛されるのか。どう見ても腐っているものを猛烈に食べたくなる、あまのじゃくな気持ちのせいか。

 どんな食べ物に嫌悪感を持つかは、継承されてきた文化の中で受け継がれる。文化は地域と密接な関係にあり、地元の香りが強い食品には地域の動植物の本質的な要素が詰まっている。発酵食品に必要な微生物も、地域による違いが大きい。キムチに使われるバクテリアはロックフォールに使われるバクテリアとは違う。

 食べ物は、敵味方を決める基準や民族の違いを見分ける手段にもなる。「わたしはこれを食べるがあなたは食べない。わたしはここの出身、あなたはあちら」という具合だ。

 どの文化でも、「外国人」はおかしなものを食べ、変な香りがし、奇妙な食品のにおいをさせている。こうした慣れない香りは招かれざる侵入と結びつけられ、そのため歓迎されない不快なにおいとされてきた。逆に言えば、外国人は食べるもの次第で、より溶け込むことができる。食を受け入れることで、その人の体臭が異質、あるいは「不快」でなくなるだけでなく、より広い文化を受け入れることを示唆するためだ。

 食べ物はすばらしい窓口であり、そこからさまざまな嫌悪の感情を知ることができる。食べ物は情熱の対象になることもあれば、忌み嫌われることもあるが、おかしなことに人間はこの拒絶感にひかれるようにできているようだ。柔らかくねっとりしたハカールを1口、あるいはカース・マルツゥを1切れ、味見さえしたくないと思う人はいるだろうか。

 嫌悪感を覚える対象は、場所だけでなく時代によっても違う。拒絶感をもよおす対象がわれわれにとってどんな意味を持つか、ということに関連しているためだ。

 たとえばロブスター。米国の初期開拓時代のように深海の珍獣とみなされ嫌われれば高級食材でなくなる。あるいは、米国でフライドチキンを注文してイナゴの唐揚げが出てきたら、客は吐くだろう。タイの人にとっては並んででも食べたいと思うスナックなのに。おかしいだろうか。有蹄動物の腐った体液が乗ったハンバーガーを注文したときに少し考えれば、おかしいと思わなくなるだろう。
(レイチェル・ヘルツ氏は、「臭いの心理学」の権威。米ブラウン大学で教鞭を執る)


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